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基本情報
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住所 |
埼玉県比企郡吉見町大字今泉351 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線北鴻巣 徒歩46分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0493541653 |
FAX番号 |
0493541653 |
公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
真言宗智山派 |
創建・建立 |
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由来 |
境内碑
金剛院大改修記念之碑
当山の開基は詳かではないが鎌倉時代末期に創建されたものと推定され、古く当山の本寺は中世における関東の名利足利の鶏足寺であり息障院も亦右の末で別個の寺格で独立していた。江戸時代に至り幕府の寺院統制策として本末の規制が実施される過程中、紆余曲折はあったが諸経緯の後元禄の頃息障院末となった。然し二十九ヶ寺の末寺を持つ当山の格式は本寺の一﨟席として保たれ、又慶安元年に徳川家光より寺領十石の朱印状を賜る。かくして時は流れ、偶天明元年十一月晦日夜の火災により全山焼失し、文化九年当山第丗二世栄照師の代に漸く本堂が再建された。爾来約百七十年の星霜を経て愈堂宇の老化が甚だしく大改修の必要にせまられてきたので院主、総代、世話人等相集い本堂改修及山門塀の新築について協議を重ね時恰も昭和五十九年が宗祖の千百五十年御遠忌に当るのでこれが記念事業としてその時迄に完成さすべく檀徒の協賛を絵て昭和五十三年五月本堂改修に着手、同五十四年二月落慶、続いて山門及塀の新築工事を昭和五十八年十月起工同五十九年七月完成、同月七日宗祖の御遠忌法要と落慶式を挙行した。茲に全山の威容が整ったので、当山の繁栄と檀徒の幸運を祈念し宗祖の御寶号を刻してこの碑を建立する。
南無大師遍照金剛 時に昭和五十九年七月吉祥日
檀徒總代 岡安佳男撰文 智山末葉一秀篆額併書
新編武蔵風土記稿
橫見郡今泉村
金剛院 今泉山萬福寺ト號ス新義眞言宗御所村息障院ノ末慶安元年寺領十石ヲ賜ハル今末寺三十ニ至ル開山良快寂年ヲ傳ヘス法流開山珍範ハ文祿四年示寂ス本尊不動ヲ安ス 山門 樓上ニ鐘ヲカク寬永七年鑄造ス後破レテ承應三年再鑄セリ |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
吉見町指定文化財
金剛院銅板経入宝篋印塔
平成十年八月二十五日指定
安永二年(一七七三)に建立されたこの宝篋印塔の塔身内部の納入札には宝篋印陀羅尼の経文が刻まれた銅の板(縦一四・三cm、横三六cm、厚さ約一mm)が丸められ納められています。
銅板経の外側の面には「岩殿山主観蓮彫刻之」とあり、当時の安楽寺第九世住職であった観蓮の手によって刻まれたものであることがわかります。内側の面には経文が二〇行にわたり二六五文字の梵字によって丁寧に彫られています。
銅板経を塔の内部に納めることで衆生界への功徳や先祖の菩提を弔うことを願ったものと考えられます。
銅板経は全国的にも類例が少なく、特に石造物の内部から発見された例は貴重であり、重要な歴史資料となります。
平成十二年三月
吉見町教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/03/05 08:47:51
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