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基本情報
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住所 |
鹿児島県熊毛郡屋久島町宮之浦字水洗尻277 |
五畿八道 令制国 |
不明 |
アクセス |
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御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
天津日高彦火々出見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト) 大山祇命(オオヤマズミノミコト) 木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト) 塩土翁命(シオヅチノオキナノミコト) 豊玉彦命(トヨタマヒコノミコト) 豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト) 玉依姫命(タマヨリノヒメノミコト) |
創建・建立 |
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旧社格 |
県社 |
由来 |
除夜(午前十一時四十五分より)~益救神太鼓(ヤク祓)の初打ち旧一月二十三日~月待祭 前年に住宅を新築した人達が、向こう三年間月の出を待って参拝し、併せて海上安全祈願をする。四月二十九日~神幸祭伝記には創建年代不詳とされているが、延喜式神名帳に「大隅国馭謨郡一座名神小益救神社」と記載され、官社として優遇をうけ、大祭典には朝廷より神饌幣帛料の班幣の儀が行われた由緒ある社である。屋久島が初めて歴史に現れるのは、三十三代推古天皇二十四年(六一六)、掖玖人が前後して朝廷に貢物を献上した記録からで、更に三十四代舒明天皇元年(六二九)四月、田部連という者を掖玖島へ派遣され、島民の皇化顕著なる御鴻業を垂れ給うと伝えられ、すでに聖徳太子の時代から帝都との交通が行われていた。一名「救いの宮」とも呼ばれ、また古来益々救われますようにと願い、また今後もますます救ってくださるお宮だという感謝の思いをこめて「益救」の文字があてられている。古代以来の伝統をもつ宮として全島民の崇敬をうけ、明治以降も神威ますます盛んに発揚されている。昭和天皇御在位六十年を記念して、社殿の改造・社務所の新築を行った。 |
神社・お寺情報 |
702年から824年まで存在していた「多禰国」の一宮であったと伝えられる。 『延喜式内神名帳』に記載されている神社の中で最も南に鎮座する。 |
例祭日 |
四月二十九日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】管理者
【
最終
更新日時】2024/08/13 19:35:26
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