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★★★★★ 参拝日:2018年5月13日 00:00
琉球八社参り⑦
★★★★★ 参拝日:2020年12月11日 00:00
★★★★★ 参拝日:2020年1月1日 06:30
この時間は、並ばずに直ぐ参拝出来ました。
★★★★★ 参拝日:2018年12月7日 12:17
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住所 | 沖縄県宜野湾市普天間1-27-10 |
五畿八道 令制国 |
西海道 琉球 |
アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 098-892-3344 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://futenmagu.or.jp/ |
御祭神 | 伊弉冉尊(イザナミノミコト)速玉男命(ハヤタマノミコト)事解男命(コトサカノオノミコト)天照大御神(アマテラスオオミカミ)家都御子神(ケツミコノカミ)日の神(ヒノカミ)竜宮神(リュウグウシン)普天満女神(フテンマメガミ)天神(テンノカミ)地神(チノカミ)海神(ワタノカミ) |
創建・建立 | 尚金福王から尚泰久王(1450-60年) |
旧社格 | 無 |
由来 | 当宮は別称普天満権現といい、琉球八社の一つです。
創建については、往昔、普天満の洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王(1450-60年)の頃に、熊野権現を合祀したと伝えられています。 現存する古い記録には『普天満権現』碑(1590年)があります。『琉球神道記』(1605年)『琉球国由来記』(1713年)『琉球国旧記』(1731年)にも当宮関係が記載されています。 近世沖縄における熊野三山いわゆる権現信仰は、琉球八社はもとより、その分社やビジュル・観音・霊石信仰とも習合しながら、県内広域に伝播し拝所としても数多く存在します。 当宮の縁起伝承には、首里桃原に女神が出現され、のちに普天満宮の洞窟に籠られた伝承があります。 昭和20年、戦時中は当時の社掌が御神体を捧持して糸満へ避難しました。 戦後は、社掌の出身地である具志川村(現うるま市)田場に仮宮を造りて祀り、その後、普天間の境内地が米軍より解放されると、昭和24年2月、元の本殿に還座しました。 |
神社・お寺情報 | •昭和28年よりハワイの県人会をはじめ県内外からの浄財により戦後の復興(本殿・社務所)が始まった
•昭和43年12月30日、洞穴の手前に本殿が竣工 •昭和47年5月15日、本土復帰に伴い宗教法人格を取得すると同時に、神社本庁と被包括関係を結ぶ •同年、祖霊社・儀式殿・神楽殿兼参集殿の造営が竣工 •平成16年、旧社殿は老朽化またシロアリの被害に伴い、境内地と周辺環境も考慮して総合的な御社殿造営計画 •平成17年4月22日、本殿・拝殿・儀式殿・参集殿が竣工 •平成19年11月19日、社務所が竣工 普天満宮洞穴(市指定文化財「名勝」) 洞穴は、全長280m、洞口が2カ所、大きな広場が三カ所あり、過去の水流の痕跡を示す洞穴ノッチも見られます。 洞穴の形成規模等からして地域の地形地史を知るうえでも貴重なものです。洞窟内及び東洞口付近は遺跡となっており、沖縄貝塚時代前期後半以後(約3000年前)の遺物が多数発掘されています。 また、約2万年前の琉球鹿、琉球昔キョン、イノシシなどの化石も発見され「普天満宮洞穴」は平成3年8月1日付で、宜野湾市文化財「名勝」に指定されました。 |
例祭日 | 10月15日 |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】松 【 最終 更新日時】2018/04/03 21:56:26 |