みんなの御朱印
14
wgrさん
2025年5月5日 11:02
42
32hiroさん
2025年3月20日 14:15
24
どらさん
2024年12月31日 00:00
49
melody0104さん
2024年11月23日 14:30
52
有栖さん
2024年3月30日 00:00
31
DENSAN1021さん
2024年3月9日 16:56
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
2
283
1
140
1
437
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
千葉県茂原市本納字辻戸738番地 |
五畿八道 令制国 |
東海道 上総 |
アクセス |
JR外房線本納 徒歩10分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0475-34-2400 |
FAX番号 |
0475‐34‐2469 |
公式サイトURL |
|
御祭神 |
主祭神:弟橘比売命 、相殿神:日本武尊・忍山宿禰 |
創建・建立 |
景行天皇御字四十一年辛亥(西暦111年) |
旧社格 |
県社 |
由来 |
社伝に日本武尊の御創建と伝え、「陽成天皇元慶元年5月17日授上総国勲5等正5位の上橘神 日本武尊 忍山宿禰2神を合祀す」と記す。延喜式内小社。正慶2年9月、寛政13年5月にそれぞれ改築。明治6年5月30日県社に列す。 |
神社・お寺情報 |
・景行天皇勅願社
・上総國二之宮
・延喜式内社(国幣小社)
水盤 寛延元年戊辰八月吉日(1748)
燈籠 安永六丁酉年(1777)
鳥居 上総國長柄郡一座天明乙巳五年(1785)
境内碑
拝殿屋根全面葺き替え修繕事業に就いて
当社は 人皇第十二代 景行天皇御宇四十一年辛亥(西暦一一一年)旧暦正十七日に 主祭神たる弟橘比賣命の御陵墓を鎮護する為 日本武尊の手に依り創建され 爾来上總國二之宮・延喜式内社(国幣小社)としての格式と伝統を誇り 広遠なる橘樹大明神の御神徳と御神恩を仰ぐ 数多の氏子崇敬者の篤き崇敬を受け 本年鎮座一千九百十一年(一九一一年)を教える古社として今に至る
去る令和元年九月九日の「令和元年房総半島台風」と 十月十二日の「令和元年東日本台風」の 二度に渡る大型台風の襲来に依り 明治二十六年御造営の拝殿に於ても 時代の流れに合せ適宜修繕の手が加えられるも 百三十年以上の永き年月 一度も全面葺き替へをしていない銅板屋根には 猛烈な暴風雨の直撃と経年劣化も相俟って最早修繕不可能な程の甚大な被害を被りたる 自然の脅威とは申すと雖も 神殿を著しく危殆に陥らしむるの已む無きに至らしめ給ひたる事 洵に恐懼に堪へず 其の後氏役員・総代各位が相寄り相語り尽くし 千木・鰹木の新調と 銅葺き方法を現状の段葺き工法から 全体的に軒先を一尺程延長する等の下地改修工事を施し 一文字葺き工法へ変更したる上で 御造営以来初めてとなる拝殿屋根の全面葺き替へ工事を決議し 其の費用には台風被害の保険金に併せ 敬神崇祖の念篤き氏子各位のみならず 広く一般の崇敬者にも御力添へを仰ぎ 葺き替へに使用する銅板を御奉賛願ひ 奉納者各位の氏名等を奉書したる銅板で拝殿屋根を葺き直す事と決す
以下略
令和四壬寅年弥生吉日
撰文 橘樹神社 宮司 杉山正晃 拝
境内掲示板
「まもろう 茂原のいいとこ、 すばらしさ」
茂原市景観資源 No.3 本納橘樹神社
橘樹神社は、県内屈指の由緒ある古社で、格式も高く荘厳な雰囲気の上総国二宮であり、主祭神は弟橘媛命である。日本書紀によれば、景行天皇の時代にその皇子である日本武尊が東征に出て、相模から上総へ舟で向かう途中暴風雨に遭いこれを静めるために后の弟橘媛が身を投げて海を静め、日本武尊が無事上総の地に上陸したとされる。橘樹神社の社伝によれば、日本武尊が流れ着いた弟橘媛の櫛をまつって陵墓をつくり、二本の橘の木を植えたのが、橘樹神社の始まりと言われている。現在の本殿の後方にあるのが、弟橘媛をまつった古墳と言われており、また境内の形が舟に似ていることから帆丘とも言われ、本納の地名の由来と考えられている。
茂原市
茂原市都市計画マスタープラン推進市民会議
境内掲示板
茂原市指定史跡
宮ノ下遺跡
所在地 茂原市本納七三八
昭和五十三年十二月二十八日指定
橘樹神社境内東側及び裏側の崖や水田から縄文土器や石器が出土することは明治のころから知られていたが、昭和二十五年本納中学校社会科研究部により、深鉢形土器(加曾利E式)が発見された。
宮ノ下遺跡は、標高十メートル地点であり、周辺の水田は地下一メートルで葦の根の腐食した土質となり、近年まで沼地であった。
橘樹神社の祭神は弟橘姫命であり、延喜式にのる社であることからも、単に縄文土器出土地のみでなく、その資料的価値は大きい。
平成二十一年三月二十六日
茂原市教育委員会
境内掲示板
茂原市指定天然記念物
本納橘樹神社社叢
所在地 茂原市本納七三八
昭和五十五年二月二十六日指定
神社裏側の森林は、高木、亜高木、低木からその下に生える下草まで全部そろっていて自然の姿に森林を放置した時どうなるかを学習するのに最適な自然林である。境内に これだけの大木が自然の形に繁茂しているところは市内では他に見られない。
樹木の種類は、エノキ、タブノキ、ケヤキ、クスノキ、ムクノキ、スタジイ等が多い。神社裏の高所は人工の塚か自然の丘陵の一部かは明らかでないが神社の境内という こともあって手を加えられていないので自然林の様相をよく残している。
平成二十三年三月十五日
茂原市教育委員会
境内掲示板
千葉県指定有形文化財
橘木社文書(十通)
附 長谷川有則文書請取状控(一通)
所在地 茂原市本納七三八
指定日 平成元年三月十日
鎌倉時代初期の建久五年(一一九四)から嘉禄元年(一二二五)にかけての文書で、元は醍醐寺報恩院から八条院の北面武士の子孫という長谷川家に伝わったものですが、長い年月を経て大正十五年に橘樹神社(当時は「橘神社」)の所蔵となりました。
この文書には鎌倉幕府第二代執権北条義時の書状や、後堀河天皇の皇后宮令旨などがありますが、一通を除きいずれの内容も橘木社(橘樹神社)を中心とした荘園「橘木荘」に係るものです。これらの文書から本納付近では、当時すでに養蚕が行われていたことや荏胡麻が栽培されていたこともわかりました。
一方、請取状控には、報恩院に伝来していた橘木社文書が、宝暦四年(一七五四)に長谷川家へ譲与された経緯を示す内容が書かれています。
本県の中世史を考察するうえで、大変重要な史料です。
令和二年三月三十一日
千葉県教育委員会
茂原市教育委員会 |
例祭日 |
10月体育の日の前日(旧暦8月13日) |
神紋・寺紋 |
橘紋
|
更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/05/06 19:01:15
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。