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★★★★★ 参拝日:2021年6月19日 15:29
大鳥居をくぐり表参道から左にずーっと真っ直ぐ行ったところにある神社です。 途中の道には流鏑馬の的を掛ける壁がありますよ🎯
★★★★ 参拝日:2007年5月8日 00:00
宇佐神宮境内から離れた位置にあり、おまけに山の上ということで、一般の参拝者もあまり気にとめない場所かと思う。しかし、歴史的事件の舞台となった大尾山に和気清麻呂公を祀るとなれば境内にあるその他の摂社・末社より上社との由縁は深そうに感じる。
★★★ 参拝日:2025年1月16日 16:06
参拝日:2024年11月17日 10:54
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 大分県宇佐市南宇佐 |
五畿八道 令制国 |
西海道 豊前 |
アクセス | JR日豊本線宇佐 徒歩38分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0978-37-0001 |
FAX番号 | 0978-37-2748 |
公式サイトURL | http://www.usajinguu.com/ |
御祭神 | 和気清麻呂朝臣命 |
創建・建立 | 不詳 |
旧社格 | 宇佐神宮末社 |
由来 | 和気清麻呂公は奈良時代(769年)、皇位継承問題で揺れる朝廷の勅使として宇佐に派遣され、八幡大神より神託を受け国の危機を救った廷臣である。
その神託は道鏡非望を打ち砕いたが、道鏡の怒りをかった清麻呂は、足の腱を切られ大隅国(鹿児島県)へ流されてしまった。その道中、暗殺を謀って送られた道鏡の刺客から、突然の天地雷鳴や300頭あまりの猪の大群が清麻呂を護り、さらに宇佐へ詣でたところ、道鏡に傷つけられた脚が回復するなど、八幡大神のご守護により数々の奇跡がおきたと伝えられている。 道鏡の没落後、清麻呂は都に戻り、平安京遷都の最高責任者に任ぜられ、都づくりに尽力した。 またこの事件後、宇佐神宮への勅使(天皇の使い)は宇佐使、または和気使と呼ばれるようになり、和気氏が派遣されることが例となった。 護皇神社は、江戸時代末期にあたる19世紀半ば以前に、宇佐神宮の境内にある菱形池の島に創建されたが、昭和大造営(1932年~1941年)の際、現在の場所へ移された。護皇神社は、清麻呂が八幡神から託宣を受け取った場所である近くの大尾神社とともに令和2年(2020年)に修復された。和気清麻呂は不幸から守り、災害を避け、足の怪我を癒す神様として崇められている。 |
神社・お寺情報 | 宇佐神宮境外社・末社
大尾山中腹に鎮座 山上の摂社、大尾神社附近は神託を受けた旧蹟である。 「宇佐八幡神託事件」において、和気清麻呂公の至誠の精神と勇気ある行動により、皇室は守られました。 |
例祭日 | 4月4日:護皇神社例祭 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】SFUKU 【 最終 更新日時】2025/05/04 02:25:35 |