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基本情報
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住所 |
東京都品川区東五反田3-6-20 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
都営浅草線高輪台 徒歩2分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
【御祭神】 豊受比賣神、天照皇大神、誉田別尊 【配祀神】 菅原道真命、武甕槌命、経津主命、塩槌翁命、市杵島姫命 |
創建・建立 |
保延3年(1137年) |
旧社格 |
旧無格社 |
由来 |
平安時代の1137(保延3)年2月、京都稲荷山・伏見稲荷が勧請・奉斎し創建されたと伝わる。 袖ヶ崎(現・東五反田3・4丁目の一部)の鎮守で、忍田稲荷大明神と称されていた。 1344(康永3)年、越前国丹生郡小川村の鎮守八幡宮神主・山口直奇の次男直正が東国へ下向し、当社の神主となった。 以来、現在まで22代にわたり宮司家としての奉仕が続いている。 直正の就任時、山口家累代の守護神であった神明宮を社の南方へ奉斎し、地名をもって袖ヶ崎神明宮と奉称されるようになり、八幡宮も祀られた。 江戸時代には古蹟社と称され寺社奉行による直支配が行われた。 三代将軍・徳川家光をはじめ、伊達家・細川豊前守等多数諸侯の崇敬があり、細川豊前守によって金箔塗の神狐1対が奉納された記録も残る。 元禄年中(1688~1704年)には天満宮が、正徳年中(1711~1715年)に塩竃大神が合祀され、厳島大神は東都歳時記に云う御府内弁財天百社番外の4番に数えられたという。 江戸時代以降、現在まで4度火災で被災しており、1745(延享2)年の被災時には伊達家が社殿を寄進している。 明治維新の際、袖ヶ崎神社と改称された。 1945(昭和20)年5月の空襲では、1849(嘉永2)年造であった土蔵造りの社殿はじめ社務所・末社等全てを焼失し、名工・伊豆長八作の鏝絵「八岐の大蛇」も失われている。 戦後の1957(昭和32)年、氏子諸氏の奉賛により仮社殿が再建され、1967(昭和42)年6月の中原街道拡幅に伴い、社殿の造営や境内整備が行われた。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】わたらせ Neo
【
最終
更新日時】2019/02/16 14:03:54
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