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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
高知県高知市春野町西分3522 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
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御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0888943814 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
御祭神:品陀和氣尊(ほんだわけのみこと)(第十五代應神天皇)
ほか、九柱神を合祀 |
創建・建立 |
応永九年(1,402年)十月十五日 |
旧社格 |
郷社 |
由来 |
当社は、應永九年(一四〇二年)十月十五日に、京都は六条左女牛(さめがい)八幡宮から御分霊を遷し迎えた社であり、高知県高知市(旧吾川郡)春野町西分地区の総氏神であります。
六条左女牛八幡宮は、第七十代後冷泉天皇の勅願により天喜元年(一〇五三年)十二月十五日に京都六条左女牛の地に創建され、六条八幡とも左女牛八幡とも称されました。歴代天皇の御尊崇は申すまでもなく、源頼朝は、建久元年(一一九〇年)に臨時の大祭を行うなど、弟の義経も祖先に倣って社地の近くに居館を構え、常に崇敬の誠を捧げました。御社は、元左女牛西洞院(現本願寺地)にあり、社伝によると、源頼義がその邸内に祀った八幡の若宮であったと云われています。
ここ吾川郡(旧吾川郡春野町含む)下に八幡宮の多い理由としては、文治元年(一一八五年)にはすでに吾川郡は京都六条左女牛八幡宮の領地として、源頼朝から寄進されていたということであり、同宮の荘園となっていたと云われています。八幡信仰は源氏の氏神であり武家の守護神として中世以降大いに尊信されるに至り、当時全国的に八幡宮の地方への勧請は争って行なわれ、その多くは在来の土地の神社に取って代わることとなったと思われます。
土佐「南路誌」の中に、吾南(後の吾川郡春野町、現高知市春野町周辺)の八幡宮が抽出されており、「西分・東諸木・仁ノ・弘岡下・弘岡中・弘岡上・芳原・秋山・森山」の中で、西分の八幡宮は、六條八幡宮としてその由来が明らかにされています。昔から文武の神として崇敬され、近世では地区の産業の発展・氏子の家内安全・商売繁盛はもとよりでありますが、時には和歌、俳諧などの詠進もあるなど吾南地区の産業・経済・文化面の守護神ともなっています。
神社境内地及び付近一帯の字名を「大寺」と総称していますが、昔時壮大な寺院が有ったところで慶長年間に退転したと伝えられています。境内地の山を大寺山と呼び、社地の字名を奥屋敷と称し、続いて中屋敷と呼ぶ地名もあり、寺院の規模も相当大きな伽藍が存在したことが想像されます。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
一月一日 歳旦祭
二月三日 節分祭
六月二十日 虫供養祭
六月三十日 大祓式・夏越祭(わぬけ様)
旧六月十四日 夏祭り
十一月三日 秋季大祭
十一月十五日 七五三祈願祭
十二月三十一日 除夜祭 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】KnoS
【
最終
更新日時】2018/05/26 21:44:28
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