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基本情報
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住所 |
宮崎県西臼杵郡日之影町七折9232 |
五畿八道 令制国 |
西海道 日向 |
アクセス |
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御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
大山祗神(おおやまつみのかみ)
三田井越前守親武公(みたいえちぜんのかみちかたけこう)
八幡大明神(はちまんだいみょうじん)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
月読命(つきよみのみこと)
愛宕将軍(あたごしょうぐん)
稲荷大明神(いなりだいみょうじん)
逆巻大明神(さかまきだいみょうじん) |
創建・建立 |
不詳 |
旧社格 |
郷社 |
由来 |
宮水神社
天正19年当時延岡藩主、高橋元種は何としても西臼杵地方を手に入れたかった。しかし、そのためには、西臼杵地方を治めていた三田井親武をどうしても討たねばならなかった。そこで元種は、親武の家来、甲斐宗摂(当時中崎城主)に謀反を起こさせ、9月27日真夜中、仲山城(現在の向山)にて、三田井親武を討ちとらせた。
宗摂に討ちとられた親武の首(頭)は、29日舟の尾へ送られたが、家来の者が首を持って宮水までくると、首が重くなり、歩くこともできなくなったので、このことを本陣へ注進したところ、不思議なことであると宮水で首実検が行われた。首実検の終わった親武の首は、この辺りの住民がもらいうけ、泣く泣く近くの森に葬った。
その後、享和3年(1803年)三田井氏の支族、興梠権兵衛重綱、庄屋甲斐又兵衛、中村忠兵衛等相協議し、宮水の首塚に石碑を建立した。
安政2年4月、中村忠兵衛の曾孫、中村寅五郎が主催して、高千穂18ヶ村の庄屋に働きかけて寄付を集め、三田井親武を祀る親武大明神の神社(宮水神社)を建立した。
明治15年8月、周辺数社北山大明神、稲荷大明神、雨杜大明神、金毘羅大明神、逆巻大明神、天満宮(天神様)を合祀し、現在に至っている。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
4月3日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】 14th moon
【
最終
更新日時】2020/05/06 18:51:05
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