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基本情報
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住所 |
福岡県北九州市八幡東区祇園2丁目5-1 |
五畿八道 令制国 |
西海道 筑前 |
アクセス |
JR鹿児島本線八幡 徒歩11分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0936716555 (仲宿八幡宮) |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
天之御中主神
跡田狭吾七命
おさよ命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
今からおよそ200年昔、豊前の国下毛郡の一村に、狭吾七(沢七)という若者がいた。
彼は庄屋の家に育ち、早死した父の後を継ぎ、母と二人暮らしをしていた。
飢饉の続く中、増納の命をうけた彼は、農民の窮状を訴えようと思ったが、
「お上の命に背くとは、見せしめのため打ち首か、所払いにする。」
そんな情報が伝えられ、母や村人と相談し、一時、村を離れる事を決心し、役人の追手からのがれる為、筑前の国、前田の里の一百姓家にかくまわれ、村人のあたたかい手当てを受けた。
そのころ、当宮、北側の旭観音堂に、巡礼途中という、おさよという美しい娘がいた。
前田の若者の人気の的となっていたが、いつしか同じ境遇の狭吾七とおさよは恋仲となっていた。
他所者に彼女をとられてなるものかと、当宮夏祭りの夜、若者の数人は彼を前田海岸につれ出し、牛にひかせて海岸を走り、松の木にくくりつけ、たいまつの火まで放った。
死に至るとは思わなかった若者はおどろき逃げ散った。
いとしい狭吾七の死を知った、おさよは生きる力を失い「せめて、あの世で一緒に」と、後を追ってしまった。
彼の死後、この地区には忌日ごとに火災が発生し、牛が死んでいった。
「これぞ狭吾七の怨霊ぞ」と、村人達はこぞって二人の霊をとむらい社を建てた。
それからというもの怪火、疫病が亡なくなった。
昭和28年、前田海岸の「和井田権現」を八幡製鉄所の庇護のもと当宮へ遷座し、台良の里にあった牛守宮と合祀し、牛守神社として祭りをつづけ、火災を除け、厄難除け、恋の結び神として神威を高め今日に至る。
かの有名な北原白秋も「鉄の都」と題する詩を、二人をしのびて歌う。
その歌と踊りは今も伝えられている。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
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更新情報 |
【
最終
更新者】管理者
【
最終
更新日時】2018/09/03 15:59:06
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