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基本情報
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住所 |
埼玉県幸手市天神島(大字)279 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武日光線幸手 徒歩19分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
天神島砦跡と天神社
幸手市天神島二七九
古くは菅霊島といわれていましたが、室町時代にこのあたりを治めていた一色氏が、鎌倉の荏柄天神の分霊を勧請し祠ったことから現在の地名になったようです。
幸手駅付近にあった一色氏の陣屋の出先である砦の跡があり、周囲には濠や土塁が残っています。また、この一帯は、中世の城郭の区画の名称である丸曲輪という小字名で呼ばれています。
また、天神社の社殿には運慶作といわれる祭神が二体あり、三十三年毎にご開帳されています。
幸手市教育委員会
新編武藏風土記稿
葛飾郡天神島村
天神社 村ノ鎭守ナリ 村名ノ條ニイヘル天神社コレナリ(天神島村ハ村內天神社池中ニアルヲ以テ起レル村名ナリ) 神體坐像長一尺六寸許運慶ノ作 日本三體ノ一ナリ 緣起及土地ノ傳說ヲ考テ折衷スルニ 應永ノ頃一色氏田宮幸手ノ舊名ナリニ居住シテコノ邊ヲ領セシトキ 幸手宿須賀上高野神扇及當所スヘテ五ヶ所ニ天神ヲ勸請シテ守護神トス 當社ハ荏柄天神ヲ勸請セリト云 古棟札アリ 此棟札文字ヲ彫アケシモノニテ字體木理等マテイト古色ナレハソノ圖ヲ左ニ出セリ
梵字 奉再興天滿宮應永七年辰年二月廿五日 天神坊中興良算
當時ハ社地ノ四邊ニ水アルヲ以テ菅靈嶋ト號ス コノ沼元ハ平須賀倉松興瀨ヲ通シテ三沼アレシト云コト緣起ニ見ユ 興瀨ト云ハコノ天神嶋ナルヘシ 天正ノ末ニ水溢シテ利根川ノ堤崩シ時此邊一圓ニ氾濫シテ社地ノミ水中ニ現レタリ 水ニ溺シモノコヽニ打寄セラレテ死セサリシモ有シハ天神ノ擁護ニヨルナルヘシ 時ノ領主一色宮內大輔直朝社ヲ再建スト云
別當滿福寺 新義眞言宗平須賀村實聖寺末 繪柄山ト號ス 本尊十一面觀音ナリ |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
市制施行五周年記念 幸手八景
天神神社の杜と榛の木並木
この神社は、中世に古河公方の家臣としてこのあたりを拠点としていた一色氏の建てたものといわれ、一帯は一色氏の砦跡で、濠や土塁が残っていて、近くにはその屋敷跡とされる一角があります。
この脇を流れる倉松川に添って並んでいるのが、今では珍しくなった榛の木です。以前は収穫した稲を干すのに用いられていましたが、そういった風景も遠い記憶の中に残るだけとなってしまいました。
大けやき芽吹き初めたるみ社の
静けさに佇ち朝の気を吸う 郷子
幸手市・幸手市教育委員会
境内掲示板
市指定有形文化財歴史資料
天神島天神神社所蔵資料
幸手市天神島二七九
この天神神社の由来は、「天神島菅神廟縁起」によると、菅原道真の霊を鎮めるため、延長元年(九二三)に造営された墓所が、その始まりとされています。
以後も一色氏などの武将により手厚く保護されましたが、大水や戦火による荒廃と再建とが繰り返されました。その一端は、古い棟札からもうかがい知ることができます。
天神神社の永い歴史は多くの貴重な文化財を生み出しました。氏子のみなさんの深い崇敬が、それらを守護し、大切に伝えているのです。
平成十年四月一日指定
幸手市教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/08/16 19:58:45
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