埼玉県秩父郡横瀬町武甲山頂 武甲山御嶽神社の写真1
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埼玉県秩父郡横瀬町武甲山頂 武甲山御嶽神社の写真3
埼玉県秩父郡横瀬町武甲山頂 武甲山御嶽神社の写真4
 3.0

武甲山御嶽神社  (ぶこうさんおんたけじんじゃ)


埼玉県秩父郡横瀬町武甲山頂

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みんなの参拝記録

智恵子さん
★★★★ 参拝日:2023年3月20日 09:14

🐺⛩️🐺さん
★★ 参拝日:2022年9月25日 22:00


haruさん
★★★ 参拝日:2022年9月3日 11:30

ゆうごさん
参拝日:2022年8月14日 11:10

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基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 埼玉県秩父郡横瀬町武甲山頂
五畿八道
令制国
東海道 武蔵
アクセス 秩父本線影森 徒歩43分
御朱印授与時間
電話番号
FAX番号
公式サイトURL
御祭神 主神 日本武尊
配祀 男大迹尊(継体天皇)
   武金日尊(安閑天皇)
   少彦名命
   大山祇命
創建・建立
旧社格
由来 境内掲示板
「武甲山」 
 武甲山(標高1304m)は、奥秩父山地より北方へのびる尾根の末端にある独立峰で、山体の北半分を二億年前の石灰岩が占めています。
 この中腹には、石灰岩固有植物で武甲山のみに生育する「チチブイワザクラ」をはじめ、「ブコウマメザクラ」や「ミヤマスカシユリ」などの特異性に富んだ石灰岩植物が自生しています。
 また、石灰岩の採掘は、大正時代から始まり、高度経済成長期に増加し、昭和40年頃より急速に山容を変えてきました。昭和56年、関連企業三社による協調採掘が始まり、現在に至っています。
 現在、武甲山の山頂には、御嶽神社が鎮座していますが、古くは平安・鎌倉時代まで遡る痕跡が見いだされ、戦国時代になると蔵王・熊野の両権現をはじめとした社殿や寺院等が建立され、江戸時代には山頂での祭祀が一層盛んになりました。
 武甲山を祀る民俗行事には、秩父夜祭、御嶽神社里宮の神楽、御田植神事、雨乞い行事など、秩父地方一帯に広くみられます。
 なお、武甲山の山開きは、毎年5月1日に行われています。

武甲山御嶽神社参拝のしおり
一、ご由緒
当社は人皇第十二代景行天皇の御代(約千九百年の昔)皇子日本武尊がご東征の折、当山山頂に武具を埋められて、関東の鎮護となされたのを起原と致します。
欽明天皇の御代(西歴五四一年...以下西歴年を省く)勅命によって、当山にご縁故の深い日本武尊を主神として男大迹尊(第二十六代継体天皇)武金日尊(第二十七代安閑天皇)を配祀されました。武金日尊は中世蔵王権現として世に知られております。社記に「継体・安閑両帝の御代、百穀よく稔り、豊の上に豊にて諸国に屯倉の貯え始まり、国民の歓声国に満つと。その御徳を仰ぎ奉りて国人皆此の神を諸国の高山に奉祀す。」とあります。
降って朱雀天皇(第六十一代)の天慶七年(九四四) 関東に疫病流行し、国民の多くが病に倒れました。時の郡領平武光は勅を奉じて少彦名命を奉斎し厄難消滅の祈願を致しました処、疫病たちどころに平癒したといわれます。正親町天皇(第百六代)の永禄十二年(一五六九)武田信玄の本郡侵入によって、社殿は悉く焼かれてしまいました。北条氏邦は当社を深く崇敬し、神に祈誓して之を撃退できましたので、元亀元年(一五七〇)社殿の再建に着手し天正二年(一五七四)に造営が竣工致しました。この時、氏邦は大山祇命を合祀し奉賽として太刀一振を社頭に奉納し、社領永三貫匁を寄進致しました。
徳川時代には武家方の信仰が厚く、爾来ご神徳は赫々として輝き明治四年には村社に列せられました。 
一、ご社殿
武甲山頂のご社殿はご本殿と之を覆う覆屋(神楽殿を兼ねた拝殿)とで構成されております。このご社殿は当初前述のように北条氏邦が造営したものですが、元禄十二年(一六九九)に大風によって大破したので、拝殿再建のために頼母子講が行われ、享保十二年(一七二七)に再建されました。その後安永四年(一七七五)、明治八年(一八七五)と再度にわたり修復が行われましたが、昭和五十年十月一日(一九七五)に武甲山の石灰岩開発のために、ご社殿が現在地に移転し同時にご本殿の修復と新しい覆屋が完成致しました。(覆屋は四間 × 七間)
一、里宮
武甲山御嶽神社の里宮は武甲山麓の根古屋三貫目の地にあります。
里宮とは山頂のお宮を里で参拝できるように設けられたお宮でご神殿と神楽殿と社務所とで構成されております。
ご神殿は間口三間、奥行四間の蔵作りの建物で、造営は享保年間(約二百七十年前)と思われます。
神楽殿は舞台が二間四面、楽屋が約二間半四面の建物で文政三年(一八二〇)に建築され、大正十五年(一九二六)に再建されました。
社務所は文政六年に守屋越前家の奥座敷として十二畳三部屋が増築され、神楽見物席として使用されました。現在も太々神楽講中の見物席として使われております。(この座敷の欄間の彫刻十三面と部屋の仕切りの杉板戸に書かれた二十四枚の杉戸絵は共に町指定の有形文化財)
一、里宮の御神楽(町指定無形民俗文化財)
武甲山御嶽神社の太々神楽は文禄五年(一五九六)に秩父の代官日下部丹波守が装束など寄進して始められたと伝えられ途中暫く中断しましたが、文政元年(一八一八)神楽講を勧進して復活したと言われます。
昔は山頂で奉納されましたが、文政以降は里宮の神楽殿で行われ、現在十四座が伝えられております。
一、ご神宝
○神輿形宮殿 一基 (町指定有形文化財)
御嶽神社のご神体を安置する宮殿は山頂ご本殿に鎮座し、武甲山にふさわしい堂々とした貫録と気品が漂っています。
総体槍鉋仕上げで丹塗りの痕跡があり扇垂木は県内最古の技法とみられ、大きな胴、玉垣、組物、簡単な軒先、葱花をかたどった屋根飾りなどに中世末の特徴がみられます。
○神輿 一基
里宮に安置されたこの神輿は明治十四年(一八八一)横瀬全村民の寄附金によって製作され、当社に寄進されました。白木造りの金銅金具付で清楚、重厚、県下でも稀にみる逸品であります。
(担い手三十四人、三百貫神輿といわれます)
○その他、ご神刀、長柄の銚子、神鏡、絵馬(町指定有形文化財)等、多数 
一、秩父絹発祥の地 城谷沢の井 (県指定旧跡)
里宮の前を流れる城谷沢のほとりにある深さ四米の井戸で永禄年間(一五五八~七〇)根古屋城陣代の浅見伊賀守慶延が地元の産業として絹布の生産を奨励し、その染色に用いたと言われております。後にこの絹地が根古屋絹として全国に広まり、現在でも無地の裏地を根古屋と称します。その後、秩父地方生産の絹が総称して根古屋絹といわれ、秩父銘仙へと発展致しました。
一、その他里宮の近くには、根古屋城址、古御嶽城址、西善寺、コミネカエデ、根古屋の鐘乳洞等の史跡、天然記念物等が数多くあります。

秩父郡誌
第五編町村誌 第二節橫瀨村
御嶽神社
御嶽神社は武甲山上に鎭座す。祭神は大山祗命・少彥名命・日本武尊・大男迹命(繼體天皇)・武金日天皇(安閑天皇)の五柱なり。中世神佛混淆の際は藏王大權現として世に知られたり。本社の緣起の槪略を述べんに、景行天皇の御世皇子日本武東征せられ、凱旋の途次此の山に登りましまし、東征の御祝禱として兵具を岩藏に埋め關東の鎭護とせられしを濫觴とす。秩父氏の勢本郡に盛なるに至り崇敬厚し。戰國時代に鉢形城主北條氏邦も亦本社を尊信し、永祿十二年武田氏秩父侵入の際は丹祈を籠め之を擊退したりと云ふ。明治四年村社に列せらる。本社東口なる鳥居に揭げたる額には「武藏國號神社」と題す。大納言德川忠長の筆なり。

新編武蔵風土記稿
秩父郡橫瀨村
武甲山
一ニ秩父カ嶽トモ云ヘリコノ山ハ武藏國第一ノ高山ニテ世ニ聞ヘタル名嶽ナリ秩父ハモトヨリ山國ニテ萬重ノ山多キカ中ニモ最モ高ク聳ヘタレハ秩父カ嶽トモ云ヘリ
中略
頂上ハ頗ル平坦アリテ本社及ヒ末社等羅列シテ往々ニアリ四方ヨリノ登リ口ニハミナ木華表アリ東口ナル鳥居ノ額ニハ武藏國號神社ト勒セリ登リツメタル所ニ又木華表アリコレヲ
二ノ鳥居トス
中略
抑武藏國父母郡國號神社武甲山藏王大權現ノ舊來ヲ尋タテマツルニ俚言ノ衆說ソノ數多シトイヘトモ國史ノ外ハ證トスルニタラス今按スルニ日本書紀第七卷ニ曰人王十二代帝纏向樹宮ニ天下ヲシロシメス御代景行天皇四十二年壬子ノ歲儲君日本武皇子夙ニ敕命ヲ蒙ラセラレテ東ノ草ノ夷ヲ悉偃伏セタマヒテ常陸ヲ安房國ヨリ武藏ヲ相模ハタ甲斐國ニ入ラセラレ酒折ノ宮ニ止リタマヒテ軍兵ノ勞ヲ休ラヒヌルコト日數ヲヘテ酒折ノ宮ヨリ北轉リ經テ武藏ヲ上野ノ碓氷ノ阪ニ登リタマフト云々ソノ酒折ノ宮ヨリ北ヲ轉リフル道ハ甲斐國山梨郡ヨリ武藏國父母ノ奧雁阪ヲ越シテ出ル所ナリ往古ハ上毛國ヨリ父母ノ釜伏ト云山路ヲ越シテ雁阪ノ道ヘ通フコト今ニ官庫ノ繪圖ニモ記シアリテ一筋ノ大道也キ又大和本記ニ日本武尊此山ヲ美テ其勢ヒヲ勇者ノ怒立カ如シトノタマヒ雁阪ヨリ直ニ此山ニ登リマシマシテ東征ノ御祝禱トシテ兵具ヲ岩藏ニ納埋ミタマウ故ニ武藏國ナリ武具ヲ以指置ノ議訓牟佐志トアリ則御着長ノ甲ヲ岩窟ニ納メテ關東ノ鎭護當山ノ御神體ト奉崇苔ノ巖ニ跡ヲトヽメタマウコトイマタモロコシノ文字ナキ折カラナレハ巖ノ面ニ御手鉾ヲ以テ神代ノ文ヲ鐫付タマヒテアリ
中略
屯倉ニ貯ヘノ藏立タル國々ノ高山ニハ皆藏王大權現ヲ祭リタマフナリ此武甲山ノ御嶽ニ始テ祭リタマフハ人皇三十代天下ヲシロシメス欽明天皇ノ敕命也續日本後記日本總國風土記等ニ載フル所ナリ既ニ當山ノ鐘ハ人皇五十二代嵯峨天皇御宇弘仁年中新ニ鑄懸貞享年中ニ鑄直スト云ヘトモ銘ハ猶故ノコトシ抑藏王大權現ハ繼體天皇大伴磐臣狹手彥臣ヲ以テ三韓ヲ平治シタマフ軍旗ノ太神ナレハ朝廷守護禦大樹武運ノ守護神ナリ
中略
藏王權現社
武甲山ノ頂上ニアリ除地三段神主守屋越前吉田家ノ配下ナリ所祭日本武尊神體木立像長一尺五寸四方又所祭藏王權現ハ押武金日尊ナリ又少彥名命大男迹尊ヲ祭リシハ太神君ヨリ御奉納ノ御太刀ヲ表シテ繼體天皇ヲ祭レルナリ又圓鏡ニ藥師ノ鑄造セルアリ徑八寸四分餘佛像三寸五分又藥師ノ銅像アリ長一尺古物ニミユ棟札幷ニ北條家判物猪俣城主桑原能登守ヨリ判物等アリシカ天明元年ニ盜トラレシト云 本社 南向キ檜皮葺八尺八寸餘ニ一丈四尺餘 拜殿 神樂殿ヲ兼ヌ九尺二間 鐵燈籠一對 高サ七尺六寸五分社頭ニアリ 木華表三基 一ハ字的場ニアリ一ハ字廣芝ニアリ一ハ字生川ニアリ 丁計ノ石 東ノ方生川口ニ五十二本西ノ方大宮口ニ五十二本アリ 奧院 古ヘ本社ノアリシ跡ナリ文祿五年ニ本社ヲ今ノ地ニ移シタルヨシコヽハ今ノ社地ヨリモ二町許東ニアリ 明王權現社 大天狗社   秋葉社 山神社 日本武尊碑 奧院ノ側ニアリ 撞鐘堂 四本柱萱葺ニテ五尺五寸四方鐘ノ長サ二尺五寸徑一尺七寸五分 銘ニ曰(省略)
寶物
一白鞘御太刀一腰 神君ヨリ御奉納ノ品ナリ銘正宗長二尺八寸二分中心長八寸二分幅一寸反リ一寸一分重ネ二分五厘幅一寸一分箱ノ表文ニ曰 東照宮御奉納御刀 當將軍吉宗公 御上覽 享保十二年丁未正月廿五日 御取次 伊奈半左衞門 神主 守屋越前守 一御紋付御茶碗一 コレハ前ニノスル御太刀上覽ノ時賜ハリシヨシ云傳フ高サ一寸五分徑リ二寸七分五厘ヒヽ燒ニテ御紋五ツノ內金三ツ紺一ツ萌黃一ツ 一太刀 白鞘モノニテ無銘長二尺八寸六分幅一寸二分中心七寸九分ニテ幅一寸五厘重三分餘反一寸一分五厘 一圓鏡一面 唐銅ノ鑄物ナリ徑リ一尺六寸餘今神主守屋越前カ祈願所ノ內ニアレトモ實ハ本社ノ中ニ納メアリシモノナルヘシ以上載スル所ノ末社ナテヒニ什寶等ハ神主守屋越前カ管スル所ナリ是ヨリ以下載スル所ノ末社ハ神主異ナレハ別テ記スモノ左ノ如シ
熊野權現社
コノ社ヲ末社トハ唱フレトモ本社ニナラヒテ構モ大キク殊ニ舊キサマナリ除地三段神主守屋大隅吉田家ノ配下ナリ神體木坐像七寸所祭速玉男命二坐例祭本社ト同シク二月四月八月トモニ八日ヲ以テ祭レリ又社內ニ圓鏡ヲ置ケリコレヲ妙體ト唱ヘリ神主大隅カモトニ圓鏡且ツ棟札緣起等アリ又大隅所持ノ訴狀ハ采錄スヘキニハアラネトモ事實ヲ搜ノ一助ニモナラント末ニ載ス 棟札 天正八年ノ棟札アリ(以下略) 淺間八旗合社 白髮社 保食社 天狗社 道祖神社 以上熊野權現ノ末社ニテ神主守屋大隅カ管スル所ナリ
大通兩權現社 奧院ノ側ニアリ除地六畝大宮鄕園田筑前カ觸下守屋兵庫カ管スル所ナリ所祭例祭ハ前ニ同シ 八幡社 高根社 駒形社 以上大通兩權現ノ末社ニテ則兵庫カ管スル所ナリ
金玉寺廢跡 本社ノ東ニアリ廢セシ年代ヲ傳ヘス當山ノ別當ナルヨシ今存スル撞鐘ハ此寺ノモノナルコト知ンヌヘシ
神社・お寺情報 燈籠 文化十三年(1816)

武甲山山頂にあるので最寄り駅の横瀬駅から徒歩で2時間半以上かかります。
例祭日 例大祭......十月一日 祈年祭......四月十五日 山開き......五月一日 
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】智恵子
【 最終 更新日時】2023/03/20 20:17:05
 
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