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基本情報
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住所 |
東京都葛飾区立石8-37-7 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
アクセス |
京成押上線京成立石 徒歩8分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
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神社・お寺情報 |
『東京都指定史跡 立石(たていし)
所在地 立石児童遊園内(葛飾区立石八丁目三七番一七号)
指定 平成二六年三月二五日
立石は、中川右岸に形成された自然堤防上に位置する石標です。石材は千葉県鋸山(のこぎりやま)周辺の海岸部で採集された、いわゆる房州石(ぼうしゅういし)で、最大長約六〇センチメートル、最大幅約二四センチメートル、高さ約四センチメートルが地上部に露出しています。もともとは古墳時代の石室を作るためにこの地に持ち込まれた石材と考えられます。
一般的に「立石」という地名は、古代交通路と関係が深い地名で、岐路や渡河点などに設置された石標に因むとされています。この立石のある児童遊園の南側、中川に接する道路は、墨田から立石、奥戸を経て中小岩に至り、江戸川を超えて市川の国府台へと一直線に通じており、平安時代の古代東海道に指定されています。そのため、この立石は古代東海道の道標として建てられたと考えられます。
江戸時代後期以降、立石は寒さで欠け、暖かくなると元に戻る「活蘇石」として、「江戸名所図会」などの地誌類に多く記載されるようになります。立石が玉石垣で囲われるようになったのは文化年間(一八〇四〜一八一八年)以降で、その周囲には梛(なぎ)や小竹が繁茂する、社叢(しゃそう)を呈していました。
「雲根志」には、立石が高さ二尺(約六〇.六センチメートル)程度であったとされていますが、御神体として祀られて以降、風邪の煎じ薬や、愛石家のコレクションとして人々に削り取られていきました。また、御守として戦場に持参したという言い伝えもあり、その結果、現在の高さに至っています。
なお、大正十二年には人類学者の鳥居龍蔵(とりいりょうぞう)がこの地を訪れ、石器時代人が信仰のためか、墓標として建てたものと結論づけています。その後も中谷治宇二郎、大場磐雄ら考古学者により、先史時代の思想や信仰を明らかにする遺跡として取り上げられてきました。
東京低地における古代の交通史、近世以来の民間信仰をうかがい知ることができ、日本先史時代の研究史上重要な遺跡です。
平成二七年三月 建設
東京都教育委員会』 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2019/12/14 17:58:13
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