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基本情報
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住所 |
山口県宇部市西梶返1-6-11 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
JR宇部線東新川 徒歩12分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
・菅原道真公・相殿赤坂大明神・保食神 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
梶返天満宮の由来
祭神・菅原道真公・相殿赤坂大明神・保食神
今より一〇八〇年前延喜元年菅原道真公が九州大宰府社に流される道中、三田尻港を出てまもなく海上大暴風雨にあい梶返の辻地蔵岬に避難して風のやむのを待った。その場所が、当時着巌森と呼び現在の社殿地である。
当時はこの地を梶返辻地蔵見崎船ヶ崎などと呼んでいた。この付近の人は梶返辻地蔵岬を船出され三年後に九州大宰府で死去された道真公の徳を慕って社を建て、着巌社といい後に着巌天満宮ともいった。この地が梶返と呼ばれるのは道真公の乘っておられた船の舵をかえしたことからだといわれている。当時この付近は海岸であり入海であった。その後天文三年(一五三四年)と元文三年(一七三八年)福原元真公の代に再建され、文化八年(一八一一年)に社殿の改修を行っている。福原元僴(越後公)もみずから参拝されて、和歌数首を詠んでいる。その後大正末期にも社殿を改造し境内(西側)を拡張した。
大東亜戦争中昭和二十年七月二日払暁米軍による空襲焼夷爆撃により大半を焼失した。昭和二十八年五月梶返東西部落外有志相協力して再建し現在に至っている。氏子は現在梶返東西部落であるが以前は野中、恩田、笹山部落も含まれていて毎年五月十一日の祭日には農具市がたっていたという。
どの鳥居の額か詳らかでないが、文久元年(一八六一)床波現在西岐波区の柳宗弥四郎が奉納している。このような由緒ある天満宮を梶返東西部落民が中心となり守護神として先祖代々祭祀してきた。
昭和五十七年五月吉日 (一九八二年)
平成三年三月復元 (一九九一年) |
神社・お寺情報 |
琴崎八幡宮の兼務社
御朱印は、琴崎八幡宮にて
狛犬 文化十二亥春(1815) |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】カツ
【
最終
更新日時】2025/01/02 21:46:44
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