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★★★★★ 参拝日:2024年3月11日 15:30
★★★★★ 参拝日:2024年3月11日 15:30
★★★★★ 参拝日:2023年10月21日 13:44
干潮を見計らって鳥居をくぐると良い。他の参拝者約300人の画像に残ること間違い無し。
★★★ 参拝日:2023年5月28日 11:03
嚴島神社の大鳥居
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※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 広島県廿日市市宮島町 |
五畿八道 令制国 |
|
アクセス | 広島電鉄宮島線広電宮島口 徒歩26分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0829-44-2020 |
FAX番号 | 0829-44-0517 |
公式サイトURL | http://www.itsukushimajinja.jp/ |
御祭神 | |
創建・建立 | 推古天皇元年(593年) |
旧社格 | |
由来 | 厳島神社は593年(推古天皇元年)佐伯鞍職によって建てられたとされる。鳥居も本社創建とともに建設されたとされる。
現状のような海上社殿となったのは、平清盛の援助を受け佐伯景弘によって1168年(仁安3年)建設された。海上の大鳥居もこの頃に創建されたと考えられている(初代)。初期の扁額は表側(海側)が小野道風・裏側(社殿側)が弘法大師の筆であったという。 1286年(弘安9年)10月、大鳥居は再建された(2代目)。この鳥居は1325年(正中2年)6月25日大風で倒壊した。 1371年(建徳2年/応安4年)4月、大鳥居は再建される(3代目)。材木は現在の佐伯区利松・廿日市市宮内などから運ばれた。倒壊時期不明。 1547年(天文16年)11月18日、大内義隆を旦那として大鳥居は再建される(4代目)。この時から両部鳥居になったと言われる。また義隆は大願寺尊海の要請により、後奈良天皇の宸翰の額を神社に贈る。倒壊時期不明。 1561年(永禄4年)10月、毛利隆元を当主とする毛利氏一族によって大鳥居は再建される(5代目)。材木は現在の能美島大原・中村、仁保島、山口県岩国市から運ばれた。1716年(亨保元年)自然に倒壊した。 1739年(元文4年)9月、広島藩主浅野吉長によって大鳥居は再建される(6代目)。楠は現在の中区広瀬、安芸区船越、安芸郡府中町、呉市下蒲刈町から運ばれた。1776年(安永5年)7月7日、落雷により倒壊する。1788年(天明8年)厳島を訪れた菅茶山は『遊芸日記』の中に「華表旧と江中に在り、往年雷震焚蕩し、仍お未だ修建せず」と記している。 1801年(享和元年)3月27日、大鳥居は再建される(7代目)。楠は牟婁郡和歌山県側、南区宇品、竹原市、呉市などから運ばれた。1850年(嘉永3年)8月7日、大風・高潮により大鳥居は大破した。額は南の阿多田島あたりにまで漂流した。 1875年(明治8年)7月18日、小泉甚右衛門(小泉本店)らの斡旋により大鳥居は再建される(8代目、現行)。 |
神社・お寺情報 | 日本三大鳥居
別名:朱丹の大鳥居 現在のものは平清盛の造営時から8代目 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】ぶらり参拝 【 最終 更新日時】2023/11/19 00:06:21 |