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基本情報
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住所 |
東京都あきる野市菅生263 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR五日市線秋川 徒歩21分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0425587506 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
曹洞宗 |
創建・建立 |
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由来 |
境内碑
本堂落慶記念
昭和六十年八月竣工
宝蔵十六世昌雄代
宝蔵寺本堂建設委員会
光雲山宝蔵寺略沿革史
當山の始めは 第三十八代天智天皇の第五皇子大友皇子の為に大津に創立された崇福寺であるのち天皇の遣勅により瀬戸岡霞野に移され山号寺号も改められ紫雲山神議寺となり大同三年勅願寺となる 久寿二年寺の付近で合戦起り諸堂焼失す この寺の帰依者であった源頼朝公は建久七年寺を現在の地に移し建久九年三月に諸堂完成し同月二十一二十二の両日に落慶法要を営む しかし其の後 座主も大津に去り法燈空しく衰へた天台の名刹紫雲山神護寺の巨刹を惜しみ こゝに曹洞宗開祖承陽大師永平道元大禅師の第十九世の法孫 泰翁慶初大和尚(宝光 五世)慶長九年八月改宗し開山となり山号寺号も光雲山宝蔵寺と改む 正徳元年十二月二十七日夕暮れ上尾崎の民家より失火した火災により頼朝公の建立した諸堂は灰燼にきす
其の後享保年間宝蔵四世徳雲祖蘭大和尚の代に建立された本堂も裏側の箇所いたみ甚だしくなり昭和五十八年九月檀徒総会の結果本堂を解体し新築する事が決定され昭和五十九年七月解体翌昭和六十年八月新本堂が完成す
これ一重に仏の加護と檀信徒の浄財と和合参集の賜なり |
神社・お寺情報 |
関東九十一薬師・第7番札所
ぼけ封じ関東三十三観音霊場・第9番札所
境内碑
如意輪観世音菩薩略緣起
秋川十八番 札所
玉川二十四番 札所
開帳佛 如意輪観世音菩薩は 右大臣源賴朝公别腹の三男 豊後守忠久卿の御母君丹後の局の御守護本尊佛なり
公より局に遣わされし如意輪観世音の尊像は 弘法大師が一刀三礼にして彫み拾える二臂の木像で 御丈一寸八分の座像 尊像の御厨子は 鉄刀樹の丸木彫黄金八相の金具 銀の吹蓮華に座し給う秘佛なり
正治元年正月十三日 頼朝公五十四歳にして薨し給えば 局も幾何もなく剃髪して 当山を去る坤壹丁の場所に庵を営み公より御特佛に遣わされし如意輪観世音の尊像を本尊佛となし潜かに菩提を果し給うと云う この庵のあった場所を通称観音山又は観音畑と云う その後庵は観音堂として宝暦十年春 当山七世鼎堂官周和尚の代現在の地に移される
開帳佛 如意輪観世音菩薩は 人皇第五十六代 清和天皇の第六皇子貞純親王 弘法大師より拝像以来源家累世の守護佛にして懇祈合掌なせば念願成就せざるものなき霊験赫灼たる観世音菩薩なり
御前立 如意輪観世音菩薩は 六臂の座像御丈一尺 この尊像は 三井寺開山智澄大師の御作なり
建久七年霞野より当地に移転し建久九年三月完成せし諸堂も 正徳元年十二月二十七日昏鐘時 類火の炎に罹り 諸堂の礎石を残すのみになる
この有様に心痛せられし当山四世徳雲祖蘭和尚は 堂塔再建の願心にて江戸表に上り 徳雲和尚に深く帰依されて居った松平越中守邸に伺候し法談中 堂塔再建の事を申されたれは 御内室伊豫御前には深く感動され 御自分の看経佛なる如意輪観世音の尊像を佛殿御前立にと御寄附下されたり |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/07/28 10:15:15
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