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基本情報
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一、山城誌……田中神社は石田村石田の森にある。
一、万葉集……山科の石田の杜の皇神に弊(※原文ママ)取り向けて我は越え行く逢坂山を。
一、都名所図会……石田の森は醍醐の南にあり。石田社は民家の中にあり。
一、山城国風土記残編……藤岡の頭に神座天穂日命二座、仲冬(陰暦11月)にこれを祭る。住民は麦を以て神供料となす。藤岡は石田の森のことで、藤の名所である。
一、神社便覧山州名跡……今より千三百余前の白鳳年中、天武天皇の御代のこと。この地に一夜のうちに苗が数尺積み上げられ、その上に白羽の矢が置かれていた。老翁が現れ、この地に天照太神、日吉両社を勧請すべきとし、帝都の南方は永く守護するだろうと告げて去った。その由縁により祀られたのが境内の「苗塚」だという。ここから考えると、かつて石田の社には天穂日命神社が鎮座し、老翁のお告げにより祀られた田中神社もあったはずだが、何時の頃かに合祀されたと思われる。
一、京都府……宇治郡 第二組 石田村 村に鎮座する田中明神は、延喜式内の天穂日命神社に間違いないことを考証確定する。明治十六年六月 京都府
一、当神社の旧記は焼失したが、言い伝えによれば、昔から氏子農民のうちに「禰宜」と称する家が二戸あった。
一、当神社の本殿及び拝殿は江戸中期に建てられた。
一、また、境内には天満宮をはじめ数社を祀る。なかでも子守神社は、乳幼児の守り神であり、燈籠に石を捧げて祈願すると不思議なことに夜泣きがやむとされ、近郊からの参拝者が多い。
一、神器・祭具などは、数百年前に美濃や京都の敬神者より寄進されたものが数種ある。
一、古より有名な歌人によって詠まれた和歌が数多く伝わる。
一、当神社は以上のように由緒正しい神社である。

【 最終 更新日時】2021/01/27 09:01:28
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