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基本情報
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住所 |
埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺758 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武野田線東岩槻 徒歩28分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内碑
神徳普坤乾
十二天尊と月讀神社祭神の由来
慈恩寺第五十世大僧正見道師の追善の為十二天御尊大を神殿に奉安す
維時昭和六十二年七月十二日慈恩寺學頭第五十一世大島見順師合掌
そもそも十二天尊は慈恩寺を慈覚大師が開創の折逢山原に於て佛法擁護を誓約せる総鎮守神所なり星霜を重ね宮殿その他苓落甚し時の學頭亮全師再興を決意内陣より一個の板を発見せり即ち古板は第二十八世実運僧正師の筆なり本地薬師垂迹は十二天うんぬん。
時に本尊を安置しなほ失却の怖れある故この板面に本迹の梵文を模しこれを奉納し当山一門と裏表両村の繁栄と健康を祈念せり中古再興の年代は天正九年から百十一年に及ぶ。
元禄四年九月九日慈恩寺學頭第三十四世法印亮全敬白(以上は原文の抜き書きなり)。
その后は三慈恩寺總鎮守十二天神社として繁栄す年を経て徳川幕政から明治維新と変り神佛分離により亦苓落す境内地は政府所有となれりそこで慈恩寺氏子一同にて資金を集め境内地七畝歩余を裏村森田花造氏の世話により岩槻町太田松田林(当時慈恩寺の土地を大量に所有せり)と云ふ人より金五円にて買受けり外に杉苗木百本(金七拾銭)を表村橋本杉右ェ門氏より買受け植栽せり明治十三年五月氏子五十一戸原文のまゝ。
以来現在まで大字慈恩寺氏子所有として管理運営すちなみに杉の木は昭和二十三年敗戦により荒れはてた氏子中の電柱用材として使用次に昭和四十二年境内地大字慈恩寺所有を岩槻市に保存登記さる昭和五十二年十二月三日時の市長関根龍之亟氏を訪れ古文書により交渉す回答に登記はしても今迄通りの管理運営してよろしい(潜在主権)とのこと訪間者は大島見蔵富永勝蔵氏石塚宏治氏小島構次郎氏小島文雄氏清水秦氏
月讀神社祭神の由来は明治四年九月十一日当時の県吏山縣権大参事が慈恩寺学頭高取調出張の折神佛分離政令に基き浦和の調神社を推奨され月讀神社として祭神す境内地については杉崎和吉と交換せるものなり(神主楠田貞彦敬白)本文は古文書と生證人による念の為
維時西暦千九百八十七年吉日 撰文者 清水泰敬白)
昭和六十二年十一月二十三日 |
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神紋・寺紋 |
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2023/02/04 19:10:23
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