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基本情報
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住所 |
埼玉県春日部市南中曽根187新方袋1088 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武野田線豊春 徒歩9分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
経津主神 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
香取神社 御由緒
春日部市南中曽根一八七
新方袋一〇八八
□御縁起(歴史)
『明細帳』を見ると、当社の所在地は「豊春村大字新方袋字富川大字南中曽根字宮田」となっている。これは当社が往時の新方袋村と中曽根村の境界に鎮座しているためである。こうした境内の位置が示しているように、当社は新方袋と南中曽根の双方の鎮守として祀られてきた神社で、『風土記稿』では中曽根村の項に「香取社 当村及び新方袋村の鎮守にて、両村の界にあり、海善院及び新方袋村満蔵院の持、末社 第六天 白山大黒天」と載る。
右の記事に見える海善院と満蔵寺は、共に真言宗の寺院であり、江戶時代にはこの両寺が年番で別当を務めていたという。とりわけ、満蔵寺は「香取山薬王院」という号からも当社との関係の深さがうかがえる。また、海善院の境内は当社と隣り合う。神仏分離後は、両寺共に当社の祭事への関与はないが、本地仏として当社の本殿に安置されてきた十一面観音像は、満蔵寺が預かるところとなっている。
『明細帳』は由緒を「創立建武元年甲戌年(一三三四)五月なりと云ふ。昔時は新方領総社と称す。延宝六午年(一六七八)九月大破に及び再建」と伝える。その後、社殿は明治三十二年の水害で新方袋の堤防決壊により流されたため、同三十七年に再建したものである。更に、本殿内に納まる柱のほぞの墨書から弘化三年(一八四六)に本殿の再建があったことがわかる。
境内碑
重修香取神社之記
謹□神典香取大神曰經津主命上古奉天照皇大神之勅驅除邪魅芟夷允
賊其績既立民人厚生之道興焉國家太平之政成焉是以天下郡國莫不通
祀焉武藏國南埼玉郡新方袋中曾根有香取神社為二村鎮祠往古為新方
領總社云其祠境内二設一□爲祠之所有以充祭典修繕之費而□欫焉明
治九年 官令裂之為國有林□來民頗困□奉祀矣三十二年又有 官林
賣下之令村人乃胥議曰□聞明神之靈上自 天子下至庶民□不祇敬尊
奉焉矧於為其村鎮而世被庇蔭者乎裂地以還祠宇殆□毀頓今而□圖修
繕不足以掲虔妥靈宣請賣下以復其舊耳議決請 官 官允之扵是伐林
中松杉雜木新植以苗杉三千株其伐材賣價得千二百五十圓乃以修繕祠
宇再造華表別造建石華表一基葢圖不朽也其費額金千二百八十五圓餘
三十七年一月衆工竣功祠宇整新村民踴躍讙呼而落之前歳既無怪風暴
雨五穀豐穣今歳亦宣然也衆咸願琢石記其事謮文扵余々曰村人之敬神
也如此蒙歆饗之福祐必矣因叙其顛末告之後世云
明治三十又七年第一月 桃塢大作暢撰文并書
石工岡山文吉鐫 |
神社・お寺情報 |
猿田彦大神 文化四丁卯年十一月(1807) |
例祭日 |
・おびしゃ(一月七日) ・例大祭(七月二十三日) ・感謝祭(十一月二十九日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2023/10/07 17:48:38
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