みんなの御朱印
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御坂美琴推しさん
2023年3月5日 00:00
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基本情報
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住所 |
埼玉県春日部市備後西5丁目5−1 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
東武伊勢崎線一ノ割 徒歩12分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
倉稲魂神 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内碑
正一位稲荷神社畧縁起
老松古木天を生いここ清浄の地に鎮座する稲荷神社は今を去る七百七十五年前建暦元年春日部の地頭職春日部大和守実平の創建によるものと伝承されております
昔の当地域は大小の河川縦横に走り東京湾まで続く低湿地帯にして大雨の際は海の如き觀を呈し須賀島はその一台地であつた
往時この島中より怪光発し煌煌として水中を照すこと長期に及び住民漁するを恐れその旨を地頭に訴えたり
役人来りこの地を臨検するに島中に古木ありその朽たる処より観音像を発見す不思議に思いその尊像を捧持し館に安置せり
ある日旅僧の来訪あり地頭に引見すその時観音像を拜せしむるに僧驚きてこれは大唐より將来し給ふ靈像にしてその昔弘法大師入唐の時文殊の浄土に至り文殊菩薩より伝法の時に法門契約の証として伝授し歸朝の後備後の國に安置し給ふ世にこれを契約本尊と稱し誠に得難き靈像なりと
爾来幾星霜を経てその地域に兵亂起りし時人民途に安んぜず亂を避て廻船に乗じ東國に移る者多しこの時尊像を船中に安置して避難の途につく者あり途中の海上にて俄に暴風雨起り破船その數を知らず然るにこの尊像の御座船のみ無難にて岸村(王子)に着きたり乗船者一同この現象は偏えに尊像の御利益なりと饌を供し靈像を拜し奉らんとするに一陣の風起り何処ともなく飛去りたり
然るに今機縁熟して当館において拜するを得て随喜感涙して旅僧は去りたり
ある夜夢見の中に神々しき老翁現れ地頭の枕頭に立ち我はこれ関東守護の稲荷大明神なり我を念ずる者には意の如く満足を与えん依つてこの所の島に社を建立し奥院には観世音菩薩を安置すべしと言い終りて消えぬ
地頭夢覚めて稲荷大明神の夢のお告げなりと悟り社を須賀島の地に建立して祭る其の後尊像の由来によりこの郷を備後村と号し社殿のある所を須賀島と稱す
当稲荷神社の御祭神は倉稲魂神であり即ち食物の事を掌り給ふ大神であらせられます五穀を始めとしてあらゆる殖産興業の守護神としてまた子育て稲荷として遍く近郷を通じて尊崇せられる所以であります
昭和六十一年三月吉日 稲荷神社総代久保谷一美古文書解撰 |
神社・お寺情報 |
水盤 奉獻水盥壹器 享保十二丁未歳六月吉日須賀嶋中(1727)
御神燈 享保六辛丑季五月(1721)
青面金剛 安永二癸巳年九月(1773) 寛政十二庚申年(1800)
境内碑
敬神崇祖
當鎮守ハ關東八州三社稻荷ノ随一ニシテ今ヲ去ル七百三十年
人皇第八十四代順徳天皇ノ御宇建暦元年春日部治部少輔ノ奉
齋スル所ニシテ五穀豊穣産業振興ノ御神徳彌髙ク白砂青松ノ
須賀原ノ地ニ神垣莊嚴ヲ極メ古來參拜ノ諸人跡ヲ絶タズ偶々
大正十二年九月一日關東地方ノ大震災ニ罹リ拜殿甚シク荒癈
ス即チ氏子一同ハ粛然トシテ神徳ヲ黷サンコトヲ恐レ協心勠
力資ヲ奉ジ財ヲ獻ジ大正十四年五月十五日改築ノ工ヲ起シ本
殿ノ莊嚴ニ則リ拮据経營昭和十四年三月十日完成ス今ヤ紀元
二千六百年ノ聖歳ヲ迎ヘ支那事變亦第四年ノ秋内皇國ノ彌榮
ト外聖業ノ完遂ヲ祈リ茲ニ謹ンデ神社ノ由來ヲ誌シ以テ曠古
ノ盛典ヲ記念スト云爾
昭和十五年十一月十日
埼玉縣南埼玉郡武里村字備後
氏子總代石川東悦撰並篆額 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
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最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2023/10/07 18:05:15
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