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基本情報
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住所 |
埼玉県春日部市米島1−1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
アクセス |
東武野田線南桜井 徒歩9分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
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神社・お寺情報 |
境内碑
環境整備記念碑
庄和町長前島祐司書
この拝殿の屋根葺替えと会館建設はここ数年来の懸案でありました
心ある人達が寄々協議を行い神社の由来記を作成配布し建設委員を広く募って万事相談の上事業を進めるという結論になりました昭和三十六年九月六日香取神社改築環境整備建設委員会の設立総会を開催規約等を慎重審議役員は委員長一名監事二名のみ選出することを議決委員長にば飛鳥馬譽之助氏を満場一致で決定しました委員長は直ちに代表委員を指名委嘱状を以てそれぞれ承諾を得ました代表委員となった者は率先垂範奉賀帳へ自発的に金額を記載し募金活動に入りましたが経費の節減を図るため総て労力奉仕汗を流すことにより共通の話題を持つこととしました
不退転の決意をZ旗の故事に倣い国旗と共に工事終了まで掲揚することにし十一月一日拝殿瓦おろしの仕事始めに掲げました一方神社由来記趣意書事業計画奉納金申込書を各戸に配布賛同協力を要請しました
的繋りからも多額な篤志奉賛金を受納することができました事業計画通り作業は進捗し念願の記念会館は建設担当が設計し下請けは競争入札直営工事となっております境内整備を如何にするか話合っている矢先大量の残土が格安に而も好條件で入手でき更に正面鳥居附近の擁壁階段も完了することができました神社裏の浅間大社碑は危険防止を考え整備しました拝殿三神合祀社記念会館には棟札を修め工事関係者の名を留めております杉の木数本を用材に使いましたがその代替に檜の苗木一五〇本を購入何時かまた野鳥の棲めるようにと植えました。
思うに目標を大きく上回る弐千四百萬円となった本事業が短期間に整備できたのは敬神崇祖の念今なお厚い人々の奉納金の賜であります支出面では現金扱を避け小切手支払いを励行慎重を期しました各戸には事業報告書を届けて喜びをわかち経過記録は神社に保管して後世に遺しますこの機会に奉仕する氏子会を充実して人々が香取記念会館を新しい道場として教育指導を行い次代を背負う人づくりに活用されることを念願してやみません
ここに碑を建て高額奉納者の芳名を永く遺すことといたしました
昭和五十七年七月十九日
関根島吉 文
井上一之進 書
境内碑
合社由来之記
此の合祀社の御祭神は武甕槌之大神(鹿島宮)菅原道真公(天満宮)大雷之命(雷電宮)の御三神で御座います
天満宮は天保九年米島村字西宮一二三番地附近に 鹿島大神宮は嘉永六年五月字西宮二一七番地附近に 雷電隠者は同年十一月 字中屋舗一一七五番地附近にそれぞれ勧請し守護神として祀り地域住民の無病息災五穀豊穣を祈願して居ったものです
時は移って明治の御世となり大政奉還廃藩置縣と續きました 当地でも政府の命令に從い行政の基礎を揺ぎ無きものにする為近隣の村と合併し川邉村を造りました 其れ以来当米島村は大字米島となり元の字は其の儘小字となり現在に至って居ります(以後町村合併に依り在和村から庄和町となる)
明治二十九年政府は人心の収攬をより強固なものにする一手段として大字内には神社は一つとの目標を掲げる神社統合を発令致しました そこで各神社の総代は鳩首協議に入りました 協議の結果合社に使用する社屋は三社の中で一番大きく丈夫で而かも痛みが最も少ない鹿島宮の社屋を使って三神を合祀する事に決定しその祭地は大字米島一番地香取神社の境内とする事と致しました
合意をみたものの事業はすぐに実行に移せないのが世の常です 何しろ間口七尺奥行八尺高さ九尺 回 りは嵌め板張りの社屋を其の儘八百米以上の距離を運ぶ仕事ですから 当時としては費用・仕事共大変な事業でした
色色と迷って居るうちに世は戦時態勢となってしまい又々移転が延びてしまいましたが幸い此の戦も明治三十八年五月日本海々戦の勝利を以て終熄致しました
為に戦勝気分も手傳い翌三十九年十二月漸く移転が実行されました その移転は今
と違い立派な運搬用具・機械も無く大八車を連ねての運搬でした(大字米島二〇六番地山崎要作氏よりの口傳)運搬して来た社屋は拝殿向って左側手前に安置して還宮の式典を行い合社の全事業は完成致しました
それから時を經ること七十五年 昭和五十六年香取神社社屋修理並びに境内環境整備事業が氏子会に依り決定されました 事業の進捗に伴い此の合祀社も大変傷みが酷くなって居った為建築委員会の委員相計り色々と協議を重ねました 新築か修理移転か 祭地は何處の邉か等々 その結果社屋は新築 祭地は現在の所と決定 昭和五十七年五月三日新築完了遷宮されたものです
平成十一年十二月二十三日
西暦一九九九年 米島香取神社氏子会撰 |
例祭日 |
境内掲示
年間行事
一月元旦 各社初参り
一月二十五日 天神祭
二月三日 節分祭
二月十九日 例大祭
七月十九日 例大祭
十一月 七五三詣り
十二月末日 カマメ販布
香取神社氏子会 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2021/11/28 08:45:31
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