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基本情報
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| 住所 | 
島根県出雲市佐田町原田113−2 | 
五畿八道 令制国 | 
山陰道 出雲 | 
| アクセス | 
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| 御朱印授与時間 | 
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| 電話番号 | 
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| FAX番号 | 
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| 公式サイトURL | 
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| 御祭神 | 
御祭神:志那都比古神(シナツヒコノカミ)              志那都比賣神(シナツヒメノカミ) | 
| 創建・建立 | 
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| 旧社格 | 
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| 由来 | 
沿    革     当社は、古来須佐神社の末社(摂社)として須佐国造所祭の社であったが、明治17年に独立し原田地区の氏神様として崇敬され現在に至っている。     創建の時期は現存する天和2年(1682年)以降の棟札や古老伝説から室町時代と考えられている。     社号は、風戸大明神社、風水大明神社、風水神社、風戸神社などを経て、 現在の社号、風土神社になっている。     また、風土神社正面の「誕生山」は雲陽誌において日の御碕神の御生誕の地と記載されており、周辺には須佐国造が新嘗祭を執り行なったともいわれている神棚の地もある。     御祭神の両神は「風の神」である。
  [風の神とは]     御祭神は古事記の神生みの段で伊邪那岐神・伊邪那美神の間に生まれた風の神とされる。     神名の「シナ」は「息が長い」という意味である。     古代人は、風は神の息から起きると考えていた。     風は稲作に欠かせないものであるが、台風などの暴風は人に大きな被害をもたらすために、各地で暴風を鎮めるために風の神が祀られるようになった。 | 
| 神社・お寺情報 | 
『古老伝説』     永禄年間(1558年~1570年)に原田矢嶺山の城主で勝部筑前守という剛将がおりました。     ある日、朝食をとっていたところ突然一本の矢が飛来してきて食卓の上に落ちました。     筑前守は大いに驚いて急いで鎧兜を身に着けて出て見れば、あたかも敵が襲わんとするところであり、直ぐに手兵を率いて奮闘力戦し、ついにこれを撃退しました。     そこで筑前守は、不思議に思って彼の食卓の上に落ちた矢が来たところを探してみたら奇妙なことに、風土神社の方から来たものでありました。     ここにおいて筑前守はご神恩に大きく感激して当社に感謝したということです。      本殿にはその矢と勝部筑前守が寄進したとされる槍二本が社宝として献上されている。 | 
| 例祭日 | 
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| 神紋・寺紋 | 
 
未登録
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| 更新情報 | 
【
最終
更新者】重複表現を修正しました。 
【
最終
更新日時】2024/08/25 20:45:20 
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