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基本情報
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住所 |
埼玉県春日部市下柳1236-1 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
東武野田線藤の牛島 徒歩7分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
別雷大神 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内碑
雷電神社社殿改築記念碑
雷電神社は別雷大神を祭り寛永六年の創建で宝永三年に改築されたものである この地域は明治以前には下総国桜井郷下河辺庄内領に属し正保年間に開墾された村である 開墾以来代官の支配地であったが明治元年下総知事の所轄となり二年葛飾県四年印旛県に属し六年千葉県に転じ八年埼玉県に属し今日に至っている
終戦後の農地改革により神社は農地を持つこと不能となり氏子協議の結果分筆して買受ける事となり従来通り当番制で耕作して小作料を神社に上納して祭礼と神社の維持管理に当ってきたのである ところが先年広域農道の建設に際し祭面も買収されてその面積も減少し又世の変転と共に耕作意慾も低下更に世帯主の交代も多く将来を展望考察してこの際祭面を売却して老朽化した神社三社の改築及び住民福祉を図るコミュニティセンターを建設することを昨年九月二十二日氏子会で協議決定をみたのである その後神の御加護により工事も順調に進んで本年五月十九日雷電神社六月三十日稲荷神社と小雷電神社の上棟式を厳修し十一月吉日遷宮式を斉行して華麗荘厳なる神社に御神体を奉迎郷土の繁栄と安泰の基礎が確立され氏子として無上の慶びである
敬神崇祖は我が国民道義の大本であり 益々涵養して風教の維持道徳の振興に資することは私達の本分であり神社は産土神として一郷の神聖なる中心であり団結の基である
茲に碑を建て改築の由縁を銘記し関係者を併記して後世に伝えるものである
昭和六十年十一月吉日
藤崎神社氏子奉賛会長 小島義夫撰文書 |
神社・お寺情報 |
青面金剛 寛政十二庚申(1800)
境内碑
雷電社改築費
大字下柳藤嵜組鎮守雷電社建築の年月已に久しく祠宇傾斜
朽頽して到底永存すべか□□□□を□□曩に小島庄右衛門氏卒先改
築を發起し共有地の収穫□□毎歳正月に執り□□りしし
甘酒祭の峘例を□み又氏子中に於て寄附講を組織し米麥
二品を分けに應じて寄附せしめ□其の代金を貯蓄せし□參
十年然るに昨年九月二十八日烈風強雨の為俄然神▢社
轉覆の不幸に遇ひぬ是に於て小島氏氏子諸氏と胥議り境内
杉樹を伐り前二□の金額を以て神社建築諸費に充て茲に本年五月
月三日工を起し十六日棟を上げ二十九日工を竣へ六月十七日入神式を
擧行せり総費金百八拾餘圓嗚呼小島氏及び氏子諸氏の敬神の
念に篤き誰れか之を感ぜざるなし神靈赫々蓋し諸氏を護るや
なり小島氏来り余の文を乞うて石に刻せむとす余敢て辞せず即
して以て後人に□く 明治三十六年十二月十三日 野口褧撰 □根作次郎書 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2021/11/28 08:49:04
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