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基本情報
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山号は過去には「医王山」と称したことがあった(山門には今もなおその額が掲げられている)が現在では海運山となっている。
寺を囲む外壁は1928(昭和3)年に木曽川より運んだ自然石で築かれ、その形が亀の甲に似ているところから市民に「亀のこ寺」と呼ばれている。
かつては真言宗の寺院であったが1873(明治5)年に八王寺の末寺となり、曹洞宗に改宗。
往年にはこの寺の付近は野田村と呼ばれ、村内には「正福寺」「長福寺」「満福寺」の三福寺が存在。
1875(明治7)年に満福寺を除く他の二ヶ寺が廃仏毀釈で廃寺となり、各本尊を当寺に移す。
境内には、1992(平成3)年に設立された身の丈3mの観音像が奉安されている。さらに三福橋を渡って十二支像、その前元は正福寺にあったという自然石の仏足石(釈迦の足裏の形をした石で仏を象徴したもの)と両面地蔵尊が祀られている。
両面地蔵は駒ヶ林の海から来られたという非常に珍しい由来を持っている。海の方に向かって拝めば、縁を結び願いを叶えて諸の吉縁を結んで頂き、山の方に向かって拝めば、縁切りを成就して総ての悪災・悪縁を切って頂く地蔵菩薩である。
満福寺の本尊である千手千眼観音像は、海運山正福寺にあったものであるが、1945(昭和20)年3月に戦火によって焼失。現在は聖観世音像がまつられていて、今もこの二ヶ寺の法会も併せ営んでいる。
現在の住職は2020(令和2)年7月1日に奈良県奥吉野南朝終焉御所南帝山瀧川寺から転住された方。

【 最終 更新日時】2022/05/03 10:41:42