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基本情報
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住所 |
埼玉県加須市中種足60 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武伊勢崎線加須 徒歩59分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
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創建・建立 |
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由来 |
境内掲示板
曹洞宗竜昌寺
上会下雲祥寺末寺
当寺は青松山と号し、本尊に釈迦如来を奉安する。文禄四年(一五九五)、快顔玄喜の開山と伝える。
古くは、本寺の雲祥寺(現川里村)を上会下寺、当寺を下会下寺と呼んでいた。そのため、見沼代用水(星川)に架かる種足橋を下会下橋とも呼んだ。会下とは”師僧の門下に集まり修業するところ”といわれる。
江戸時代、幾度となく堂字が火難に遭い、そのつど再建されたが、近年では明治四年三月に焼失している。現本堂は昭和四十七年の建築である。また、明治二十五年には、近くにあった泉竜寺を合併している。
当寺は徳川家光より家茂までの間、御朱印二十石を賜っており、明治になって御朱印状を返納した際の受取書が現存している。
なお、山門前には町内最古の寛永五年(一六二八)銘の地蔵尊像がある。
加須市教育委員会
新編武藏風土記稿
埼玉郡中種足村
龍昌寺 禪宗曹洞派上會下村雲祥寺末靑松山ト號ス寺領二十石ハ寬永十九年御朱印ヲ附セラル文祿四年ノ開闢ニシテ開山ハ雲祥寺第七世快岩玄喜寂年ヲ傳ヘス本尊釋迦脇士ニ文殊普賢ヲ安セリ寺僧ノ傳ヘニ本山雲祥寺ヲ古ハ上會下ト唱ヘ當寺ヲ下會下ト唱ヘシ由ヲ云上會下村ノ名ハ今モ殘レリ下會下ノ名當所其傳ヘヲ失ヒタレト村內下會下橋トイヘルアル類彼橋ノ邊下會下ノ小名ナトアリシニタマタマ傳ヘテ失シナルヘシ 鐘樓 延享二年鑄造ノ鐘ヲカク 白山社 |
神社・お寺情報 |
境内碑
龍昌寺本堂落慶記
当山は曹洞宗青松山龍昌寺と称し永禄七年上会下雲祥寺住職快顔玄喜大和尚が御開山なされたもので今を去ること四百六年前であります御本尊様は御釋迦様です東印寺泉蔵院の末寺があり家康公より御朱印二十石を受領し明治維新に至るまで伝承していました七代住職の時堂宇大破の爲建替十五代住職の時祝融の火災に会い全山焼失し速刻再建となり明治四年十八代住職の時廃佛の難に会い焼失以来仮本堂のまゝ現在に至りましたこの度壇信徒一同大願を起し大本堂建設の意志相まとまり広大無辺の御功徳により昭和四十六年暮着工四十七年秋威風堂々稀にみる鉄筋コンクリート造りの豪壮な本堂が竣工し山内の諸整備と相まって一変しました
維持昭和四十七年十月
二十一世德海龍壽
境内碑
山門鐘楼堂庫裡葺替修復記念碑
記
当上の山門及び鐘楼堂は鋳造年月日より推定して第十世豪山元英大和尚代一七四五年延享二年乙丑二月建立されて以来第一回修理を一八三四年天保五年甲午第十五世代に施行し第二回修理を一九一四年大正三年甲寅四月十日第十九世代に修理を施行したものです。寄る年波にたえず雨漏り、腐朽傾斜危険窮まりなく、この度多大なる浄財寄付により大修復塀の新設及び記念事業として本堂前より門に至る敷石など以前にも勝り立派に復元され面目を一新致しました。茲に碑文として記念す。
平成元年四月八日 一九八九年
廿一世 徳海龍壽 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】zx14r
【
最終
更新日時】2024/12/15 12:41:32
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