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基本情報
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住所 |
埼玉県比企郡川島町松永3 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
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御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
曹洞宗 |
創建・建立 |
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由来 |
新編武藏風土記稿
比企郡松永村
大安寺 曹洞宗埼玉郡尾ヶ崎村光秀寺末松永山ト號ス 此寺昔ハ爰ヨリ東ノ方今ノ水除堤ノ外ニアリシカ 僧心翁本山ヨリ來リ住セシ時 當所ヘ轉シテ再興セシ故今是ヲ開山トナセシト 按ルニ新座郡野火留平林寺ニ載セル永祿十年太田氏資カ出セシ文書ニ 平林寺末寺小見野內於安樂寺幷大安寺橫合狼藉不可有之條云々トアレハ ソノカミ平林寺ノ子院ナリシトミエタリ 恐クハ心翁再興ノ後光秀寺ノ末ニ屬セシナルヘシ 心翁ハ慶長六年正月廿六日寂セリ サレト安樂寺ニテ傳フル所ハ九年十月廿六日ト云 イツレカ定カナラス 本尊地藏ヲ安セリ
境内碑
大安寺再建記念碑
曹洞宗松永山大安寺は岩槻城主太田氏資(一五六七年示寂)の外護寺なる岩槻光秀寺五世心翁淳泰和尚(一六〇一年示寂)の開山せし寺にて平林寺の末寺なり 当初は市野川松永橋のほとりに建立せしが開山和尚の代中に現在地に移転せしという その後火災にて堂宇焼失す
本尊は延命地蔵菩薩にて十世単宗(一七八六年)代安永八年(一七七九年)十二月吉日寄進されしものなり 堂宇は十四世全達和尚(一八一五年示寂)代文化年間に再建され現在におよぶ
建立以来約百八十年もの歳月を経たれば老朽し 改築の声檀徒より高まり 本堂を改築し境内を整備す
平成十二年七月の佳日 本堂落慶法要を挙行し菩提寺の興隆と先祖の冥福 子孫の悠久繁栄を祈念 合掌す
平成十二年七月吉日建之
檀徒総代表 森田正平
二十八世住職 佐藤真立 |
神社・お寺情報 |
境内碑
松永山大安寺共同墓地改修記念碑
祖先累代の霊久しく この墓地に眠る 年経るに狭隘となり 草木生い繁りて 埋葬墓参に不便となる 檀信徒相図り 昭和五十五年十月 墓地改修の議纏まる 同年十一月檀信徒七十七の同意を得て共同墓地改修委員会を組織す 第二十七世住職豬爪伸介氏により昭和五十六年春開眼戻しの儀式を行ひ改修施工す 昭和五十六年秋完成を見る 檀家一同その落慶を喜び合掌す
昭和五十六年秋
松永山大安寺共同墓地改修委員会
境内碑
報恩碑
方今文敎大興庠序學校無處不在男女老幼講學肄業兒童走卒讀書習字可謂盛矣雖然學術膚淺身口相傳有知行不一致者有心口不契合者功利日〇仁義月荒中正之風醇厚之俗將拂地而滅也加之師道頹廢師弟之情冷淡如水是以修身樹德之道場變為賣買技藝之市廛誰不長嘆哉我郷土埼玉有禪人姓眞々田諱信芳字義秀自號松翁南掎玉郡新和村人以嘉永六年癸丑正月五日生七歳發出塵之志授同村光秀寺日鼻元瑞和尚得度執侍巾瓶傳習祖録旁學經史和尚許以道器針芥相合明治三年庚午齢十八入室嗣法既遊方謁直心淨國禪師西有穆山老師於達州可睡齋苦修練行累五春秋咨決心要明治二十三年庚寅比企郡小見野村大安寺虛席檀越請師補之為第二十四代主法爾後接人應物不論真俗以蘭若為學舍從事于育英三十九年受薫陶者貳百八拾餘人振作師道弘張心學改草民俗其効莫大焉昭和三年戊辰春師七十六載門人相議建報恩碑銘曰
義秀禪人 道行清苦 左以準繩 右以規矩 攝化群生
高懸法鼓 提撕活佛 生擒活祖 其功不朽 千秋萬古
駒澤大學長文學博士 忽滑谷快天撰文
勅特賜圓證明修禅師大本山永平寺貫主北野元峯篆額
昭和三年一月吉日 現住 真々田信芳證書 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/11/19 08:43:49
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