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基本情報
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住所 |
埼玉県上尾市平方530-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR川越線指扇 徒歩44分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
天台宗 |
創建・建立 |
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由来 |
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神社・お寺情報 |
新編武藏風土記稿
足立郡平方村
正覺寺 天台宗別所村福正寺末 威德山寶聚院ト號ス 本尊不動ヲ安置ス
境内掲示板
上尾市指定史蹟
(昭和三十四年一月一日指定)
森朴斎碑と墓
観音堂(大字平方530-1)
森朴斎は桑名藩(三重県)の医師で、名は彰、弘化年中(1844~48)に平方村に立ち寄り、名主の永島太十郎(太重郎)宅に寄留した。朴斎の学識を見込んだ太十郎は屋敷内に学舎を建て、地域の若者を集めた。十数年にわたり300余人が彼の人柄を慕い学んだが、 万延元(1860)年五月一二日54歳で没し、正覚寺(現観音堂) 墓地に葬られた。
指定の碑は高さ127cmで、正面上部に「森朴斎翁碑銘」とあり、戸井田広が撰文し、永島氏や門下生等により建立されたといわれる。
碑文によれば、朴斎のほか「喜良久」「独立庵」の二つの号を持っていたとされる。俳諧を嗜み、身なりに頓着しない生活ぶりから朴斎の号をとったとある。碑陰に「蓮のミの飛離たる別れかな」の句が刻まれており、朴斎の辞世の句とされる。万延元年五月一三日付けで筆子中によって建てられた「真誉朴斎浄證居士」とある墓も境内に残されており、碑と共に文化財に指定されている。
上尾市教育委員会
境内掲示板
上尾市指定史跡
正覚寺寺子屋遺跡
観音堂(大字平方30−1)
正覚寺寺子屋遺跡は、明治初期に廃寺となった天台宗正覚寺の歴代住職の墓所である。墓石群のうち6基が筆子塚である。筆子塚とは、江戸時代に寺子屋で教えを受けた筆子(生徒)たちが、師匠の没後、遺徳を偲び建てた一種の供養塔である。
6基のうち、最も古いものは「権大僧都贈堅者純智法印」と刻まれた無縫塔(卵塔)で、寂年月日は正徳三(1713)年四月一八日、台石には「施主平方村手習子五十三人同取子十人同親類五人」とある県内でも古い筆子塚である。このほかに、明和三(1766)年没の鎮饒、文化五(1808)年没の亮舜、文政元 (1818)年没の慶典、天保四(1833)年没の戒運、天保一二(1841)年没の円純ら5人の僧の墓も筆子塚である。正覚寺で少なくとも16世紀初頭から寺子屋が開かれ、長期にわたって続いていたことを示す貴重な史跡である。
上尾市教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】管理者
【
最終
更新日時】2024/06/25 15:09:08
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