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基本情報
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住所 |
宮崎県日向市塩見13266 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
JR日豊本線財光寺 徒歩56分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
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神社・お寺情報 |
ひょっとこ踊り発祥の伝承 境内案内より
昔ある日、この永田部落に大変綺麗な娘「オカメ」という美女が若者達の話題となっていた。その美女を射止めたのが「評助」という男だった。 めでたく結婚したが、子宝に恵まれず思案の果てにこの稲荷神社に子供を授かるよう願掛けにいったそうな。ところが、早朝のことで庭掃除をしていた神主さんは空腹だった。 そして美女のオカメに声をかけるとお供えの赤飯に目をつけた。 神主は「子供をさずかるように私も祈ろう、今年は一つ子、明け年は二つ子…」と祈りながら赤飯をつまみ喰いはじめました。 一つ二つ、三つ目に手を掛けた時、その神主の愚かさを見ていた稲荷大明神が 「神に仕える者が神前の供物に手を出しつまみ喰うとは何事ぞ」と怒って狐に化けて 現れると神主、評助夫婦は驚きました。 すると稲荷様は怒って出てきたものの、オカメの美しさに目を引かれ怒りも忘れオカメを自分のものにしようと連れ去ろうとする素振りがとても愛嬌があり、ひょうきんな踊り振りがとても面白いので稲荷神社の神楽として 永田部落で江戸初期頃から踊られていた。 明治初期 永田村の笹川に橘公行という儒学者が眼医者として住んでおり、永田の神楽をみて、身のこなし足振りを振り付けをして踊ったそうです。 また、評助方は子宝に恵まれ家庭円満に平和な明るい家庭が続き幸せが訪れました。 その頃の踊りは名前も無く、単調な笛と鐘と太鼓のリズムでひたすら笑い転げるような身振り素振りで村から町へと評判になり 確定した名前も「ピッピリピヨ踊り」だった。しばらくはこの名前で踊られていたがゴロが悪いとして正式な名前として「橘踊り」として保存会が成立して 引く手数多の祝い事に県内県外に招かれ現在にいたっている。 昭和十六年三月二十一日までピッピリピヨ踊りと呼ばれ、それから昭和六十年十月まで橘踊りとよばれた。昭和六十年十月より 「橘ひょっとこ踊り」を新名とした。 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】雪月
【
最終
更新日時】2024/10/23 15:17:00
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