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参拝日:2024年5月10日 14:17
★★★★ 参拝日:2023年8月20日 00:00
岩肌を天井と壁とに利用した岩窟の毘沙門堂。岩壁には岩面大仏が刻まれている。 入場料は五百円ですが、見応えのある素晴らしい神秘的な場所でした。 御朱印は入口の寺務所にて拝受。
参拝日:2023年5月2日 08:00
★★★ 参拝日:2017年8月29日 00:00
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住所 | 岩手県西磐井郡平泉町平泉字北沢16 |
五畿八道 令制国 |
東山道 陸奥 |
アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0191-46-4931 |
FAX番号 | 0191-34-9911 |
公式サイトURL | www.iwayabetto.com/ |
御本尊 | 毘沙門天 |
宗派 | 天台宗 |
創建・建立 | 延暦20年(801年) |
由来 | およそ千二百年の昔、惡路王・赤頭・髙丸等の蝦夷がこの窟に塞を構え、良民を苦しめ女子供を 拐さらう等乱暴な振舞が多く、国府もこれを抑える事が出来なくなった。
そこで人皇五十代桓武天皇は、坂上田村麿公を征夷大将軍に蝦夷征伐の勅を下された。 対する惡路王等は達谷窟より三千余の賊徒を率い駿河国清見関まで進んだが、大将軍が京を発するとの報を聞くと、武威を恐れ窟に引き返し守を固めた。 延曆廿年(八〇一年)大将軍は窟に籠る蝦夷を激戦の末打ち破り、惡路王・赤頭・髙丸の首を刎ね、遂に蝦夷を平定した。 大将軍は、戦勝は毘沙門様の御加護と感じ、その御礼に京の清水の舞台を模して九間四面の精舎を建て、百八体の毘沙門天を祀り、鎮護国家の祈願所とし、窟毘沙門堂(別名を窟堂)と名付けた。 翌延曆廿一年(八〇二年)には別當寺として達谷西光寺を創建し、奥真上人を開基として東西三十余里、南北二十余里の広大な寺領を定めた。 降って前九年後三年の役の折には源頼義公・義家公が戦勝祈願のため寺領を寄進。 奥州藤原氏初代清衡公・二代基衡公は七堂伽藍を建立したと伝えられる。 文治五年(一一八九年)源頼朝公が奥州合戦の帰路、毘沙門堂に参詣され、その模様が「吾妻鏡」に記されている。 中世には七郡の大守葛西家の尊崇厚く、延徳二年(一四九〇年)の大火で焼失するが、直ちに再建された。 戦国時代には東山の長坂家より別當が赴き、多くの衆徒を擁したが、天正の兵火により、岩に護られた毘沙門堂を除き、塔堂楼門ことごとく焼失した。 慶長廿年(一六一五年)伊達政宗公により毘沙門堂は建て直され、爾来伊達家の祈願寺として寺領を寄進されてきた。 昭和廿一年隣家から出火。 御本尊以下二十数体を救い出したが毘沙門堂は全焼した。 昭和丗六年に再建された現堂は創建以来五代目となる。 内陣の奥に慶長二十年伊達家寄進の厨子を安置し、慈覺大師作と伝える御本尊毘沙門天・吉祥天・善𧸐師童子を秘佛として納める。 次の御開張は令和廿四年となる。 毎月三日の月例祭・春秋の大祭を始め多くあるが、特に修正会は正月元旦から八日迄行われ、慈覺大師から二世別當恵海大和尚が伝え、千余年も続く神事である。 |
神社・お寺情報 | 札所:東北三十六不動・第23番(姫待不動尊) 再生、縁切り、金運向上。 岩手六芒星神社。 |
例祭日 | 毎月3日:毘沙門天王月例祭 毎月1日、3日、15日、28日:毘沙門様御縁日 毎月18日:観音様御縁日 毎月21日:辯天様御縁日 毎月28日:不動様御縁日 元日~正月8日:修正會 元日:仁王會 正月2日:※礼拝講 鬼儺會 正月3日:※初夜座 正月4日:※後夜座 正月8日:結願牛玉法 正月14日:枩焚祭(どんと祭) 2月6日:節分會 2月11日:紀元節 2月15日:涅槃會 2月23日:天長節 4月14日(旧3月3日):春季大祭 4月29日:觀桜會 5月19日(旧4月8日):灌佛会 7月2日(旧5月23日):大將軍會 9月9日(旧9月3日):開山會 10月8日(旧9月3日):秋季大祭 11月23日:新嘗祭納神樂 12月2日:※毘沙門様御年越祭 12月8日:成道會 12月17日:※観音様御年越祭 12月20日:※弁天様御年越祭 12月27日:※不動様御年越祭 12月31日:毘沙門天王護摩供及び除夜鐘 ※は非公開行事 |
神紋・寺紋 | 七曜 |
更新情報 | 【
最終
更新者】SFUKU 【 最終 更新日時】2023/09/30 17:45:05 |