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参拝日:2021年5月9日 16:10
参拝日:2021年3月28日 19:49
参拝日:2021年1月31日 15:29
参拝日:2020年8月5日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 三重県多気郡多気町神坂169 |
五畿八道 令制国 |
東海道 伊勢 |
アクセス | JR紀勢本線佐奈 徒歩15分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0598372505 |
FAX番号 | 0598-37-2873 |
公式サイトURL | http://www.renge.net |
御本尊 | 如意輪観世音菩薩 |
宗派 | 天台宗 修験道法流 |
創建・建立 | 673年 |
由来 | 旧寺名を穴師(子)寺といい、寺史には白鳳2年(673)藤原鎌足有縁の草創という説と、白鳳9年(680)に鎌足の一子、不比等が開山したという2つの説があり、藤原一族による興福寺、春日五社に次いで伊勢での寺院建立とも伝う。山頂には式内穴師神社跡があることから、大和の穴師坐兵主神社から移住した氏族の菩提寺として草創されたと考えられる。天暦7年(905年)の『延喜式神名帳』伊勢国の項に穴師神社の社名が見えることから、相当古い歴史を持つ寺社である。「金剛座」の名称は、通常「釈尊成道の座」を意味するが、しかし神仏習合による本地垂迹説から推定すると、天手力男命の本地仏を金剛薩埵と想定すると金剛(薩埵)の座す寺と名付けたとも考えられる。寺史にはその後、仏土寺(仏土山普賢寺)、戒光寺、継松寺、霊教寺、南寺、北ノ坊、東ノ坊を有するまで発展したが、永享四年の地震による損壊、応仁二年、永正三年の兵火、天正年中の織田氏兵により焼失等すべての古文書等悉く灰燼し、それまでの寺史の詳細が不明となってしまっている。寛永十七年(1640)に度会郡國束寺の僧であった良珠上人が入山し、相可大和屋五代広明が大檀那となり現在の本堂を再興した。客殿は江戸末期建立の書院造で大和屋の別宅を移築したと伝わる。庫裏は明治元年に建立。当寺には平安期末に活躍した歌人西行法師が訪れたという伝説があり、西行法師は、自分の先祖である藤原家有縁の当寺に植えられていた桜を題材として詠んだと伝えられ、それが当寺のご詠歌になっている。 『昔より菩提の樹(うえき)それながら 出し佛の影(けい)ぞ残れる』 当寺は江戸期から比叡山派であったが、戦後、当時住職広橋貫廣の法友であり比叡山回峰行を再興した叡南祖賢大阿闍梨の修験道法流発足に参集することとなった。後、三十年間の無住期を得て染川智勇新住職のもと復興が進められている。多気町文化財として『鰐口』『穴師神像』が指定されている。また寛永二十一年(1644)建立の本堂は旧多気町内最古の建築物である。 ※金剛座寺パンフレットより |
神社・お寺情報 | 伊勢西国三十三観音十番霊場です。 松阪市中万町の乳熊寺と、津市の久居にある極楽寺もこちらの関係寺です。 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】地獄耳 【 最終 更新日時】2020/02/10 16:41:56 |