奈良県奈良市菅原町508 清涼山 喜光寺の写真1
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奈良県奈良市菅原町508 清涼山 喜光寺の写真8
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奈良県奈良市菅原町508 清涼山 喜光寺の写真10
 3.8

清涼山 喜光寺  (せいりょうざん きこうじ)


奈良県奈良市菅原町508

みんなの御朱印

清涼山 喜光寺の御朱印1
5
りょうた&ちえさん
2025年5月21日 00:00
清涼山 喜光寺の御朱印2
9
昌ちゃんさん
2024年12月21日 09:45
清涼山 喜光寺の御朱印3
9
たーくんさん
2024年5月25日 00:00

清涼山 喜光寺の御朱印4
7
たーくんさん
2024年5月25日 00:00
清涼山 喜光寺の御朱印5
17
たーくんさん
2024年5月25日 00:00
清涼山 喜光寺の御朱印6
77
新居浜太郎さん
2024年3月3日 22:16

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みんなの参拝記録

Tさん🍁さん
★★★★ 参拝日:2023年10月2日 00:00

新居浜太郎さん
参拝日:2024年3月3日 21:52


清涼山 喜光寺の参拝記録3
1
130
くまたろうさん
参拝日:2019年10月5日 13:40

りょうた&ちえさん
参拝日:2025年5月21日 00:00

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基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 奈良県奈良市菅原町508
五畿八道
令制国
畿内 大和
アクセス 近鉄橿原線尼ヶ辻 徒歩8分
御朱印授与時間
電話番号 0742454630
FAX番号 0742454630
公式サイトURL https://kikouji.com/
御本尊 阿弥陀如来
宗派 法相宗
創建・建立 721(養老5)年
由来 架橋、土木工事などの社会事業に携わり、東大寺大仏造立にも貢献した僧・行基が創建したと伝わる。『行基年譜』(1775(安元元)年成立)によれば、菅原寺(喜光寺)は、721(養老5)年寺史乙丸なる人物が自らの住居である菅原の地を行基に寄進し、翌722(養老6)年に行基がこれを寺としたものであって、行基建立の四十九院の一つであるとされている。
寺地は平城京の右京三条三坊の九ノ坪、十ノ坪、十四ノ坪、十五ノ坪、十六ノ坪の計5坪を占めていたという。なお、現・喜光寺本堂の位置は、右京三条三坊の十五ノ坪にあたる。『大僧正舎利瓶記』によれば、行基は749(天平21)年2月2日に喜光寺東南院において82歳で死去したという。なお行基の墓は喜光寺から直線距離で7キロ離れた生駒市有里の竹林寺にある。前出の『大僧正舎利瓶記』は、行基墓から出土した銅筒に記されていたものである。
1969(昭和44)年に境内の発掘調査が行われ、現・喜光寺本堂は奈良時代の創建本堂の跡に建てられていることが確認された。創建金堂の基壇は東西が28メートル、南北が21メートルの規模であった。そこから南に42メートル離れた場所に南大門跡とみられる建物跡があったが、礎石は残されていなかった。
一方、「菅原寺記文遺戒状」という別の史料によれば、この寺は715(霊亀元)年、元明天皇の勅願により建てられたものという。創建当初は菅原道真の生誕地と伝わる菅原の里にあることから菅原寺と呼ばれていた。伝承によれば、748(天平20)年に聖武天皇が参詣した際、当寺の本尊より不思議な光明が放たれ、これを見た天皇が喜んで「歓喜の光の寺である」ということから「菅原寺」を改めて「喜光寺」の名を賜ったという。『続日本紀』によれば、782(延暦元)年、この地に住んでいた土師氏が桓武天皇から菅原姓を賜ったという。
中世には菅原神社(菅原天満宮)を鎮守社とし、興福寺の子院・一乗院の末寺となった。1275(建治元)年には興福寺一乗院門跡信昭が興正菩薩叡尊に喜光寺の復興を依頼すると同時に、喜光寺は一乗院門跡の隠棲地に定められた。喜光寺は叡尊と弟子の性海により復興され、1283(弘安2)年には事業が完成している。
1499(明応8)年12月、大和国に攻め込んできた細川政元の家臣赤沢朝経によって焼き討ちされてしまい本堂を始め伽藍のほとんどが焼失したが、1544(天文13)年に本堂が再建されて復興がなされた。しかし、元亀(1570~1573)年間に再び兵火にあって本堂以外の堂宇を焼失した。
江戸時代の中期には貫光戒月や寂照といった僧によって本堂が修理されている。
明治時代には神仏分離によって鎮守社の菅原天満宮が独立し、一乗院も廃寺となったことから当寺は薬師寺の末寺となった。現在は薬師寺が属する法相宗唯一の別格本山である。
1992(平成4)年からは「いろは歌」を書写する「いろは写経」が行われている。
2019(平成31)年1月28日、奈良大学は2005(平成17)年に額安寺から購入した木造四天王像のうち広目天像と多聞天像の2体を2014(平成26)年から解体修理する過程で、計7カ所から「行基大菩薩御作菅原寺」などと記された墨書銘文が見つかったと発表した。四天王像は明治の神仏分離を受けて奈良時代の僧の行基が最期を迎えた菅原寺(喜光寺)から額安寺に移されたとする伝承があったことから、同大は「説が裏付けられた」としている。これを受けて2019年5月2日から9月2日まで「おかえり法要」として本堂で奈良大所蔵の四天王像が特別公開された。
神社・お寺情報 重要文化財
・本堂
・阿弥陀如来坐像(御本尊)

大和北部八十八ヵ所霊場 第ニ十五番札所
ロータスロード
例祭日
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】けんぢ
【 最終 更新日時】2022/10/08 15:11:29
 
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