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参拝日:2024年1月21日 10:22
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 茨城県かすみがうら市西野寺434番地 |
五畿八道 令制国 |
東海道 常陸 |
アクセス | JR常磐線高浜 徒歩38分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0299-22-5398 |
FAX番号 | 0299-22-5398 |
公式サイトURL | http://tayasu-zinja.com/ |
御祭神 | 経津主命(ふつぬしのみこと)
[相殿]木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと) |
創建・建立 | 天平宝字6年(西暦762年)9月 |
旧社格 | 村社 |
由来 | 創建は、奈良時代、天平宝字6年9月(762年)と伝えられています。
西暦741年の聖武天皇の勅願により、国分寺、国分尼寺が全国各地に建立されました。 常陸国府中(石岡市)に建てられた20数年後の頃です。 社伝によると、御神体は、鏡(藤原政重の銘)で、初めは、下総国香取神宮の神(経津主命ふつぬしのみこと)を祀り、相殿(あいどの)に、山城国葛野郡(京都嵐山)梅宮大社の御分霊として、胎内安全の神(木花咲耶姫命・このはなさくやひめのみこと)を祀りました。 この時、4月8日(現在は3月3日)を胎安神社の例祭と定められました。 天喜2年(1054年)鎮守府将軍陸奥守・源頼義、義家父子が、奥州征討の時、隣村の下雫村(下志筑)在陣中に、胎内安全、安産子育守護の霊験著大なることを聞き、都にいる御内室の懐胎を遥想されて、神主を招き、安産祈願を執り行いました。 康平6年(1063年)大任遂行の帰路、当社と子安神社に奉賽(ほうさい)すなわち、お礼参りをされました。 この時の「太刀一振り」の奉納札が残っています。 その後、義家の嫡男誕生の9月9日を記念日として祭日に定めたとされています。 尚、この時以来、義家の家紋である笹竜胆 (ささりんどう)の紋章の使用を許されました。 その後、常陸国内は、戦乱が続いたためか、数百年間の詳しい社伝がありません。 1500年頃から、遷宮、改修、裁許(宮司任命状)、安産祈願、奉賽などの記録が、棟札、古文書などに残っています。 天文4年(1536)11月遷宮(第21? 22代宮司の頃)慶長7年(1602)慶長検地で、検地奉行・彦坂小刑部を、23代宮司が志筑領内を案内しました。 元禄8年(1695)4月遷宮(第26代宮司の頃)享保3年(1718)12月改修、改築(第27代宮司の頃)享保18年(1733)遷宮(第28? 29代宮司の頃)宝暦年間(1751年~)に書かれた神社位置を示す「由緒絵図」が現存しています。(27代宮司の署名) 明和8年(1771)年、第30代宮司の頃、現在の場所に遷宮しました。(現存する社殿) この時期以降、志筑領主本堂公代々の安産祈祷記録のほか、府中藩主・松平公、土浦藩主・土屋公の安産祈願をした古文書が存在しています。 明治6年4月村社に列されました。 明治22年1月9日社殿の屋根を銅板に葺替。 昭和27年8月22日宗教法人設立。 昭和31年2月8日神社本庁の承認を得て、香取神社の相殿になっていた胎安神社を正式に、「胎安神社」と改めました。 神社を管轄する国の役所から交付される「裁許状(宮司任命書)」は、1499年(第20代宮司)以降、断続的に記録が残されています。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 3月3日 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】まっきー 【 最終 更新日時】2019/01/26 23:01:26 |