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基本情報
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住所 |
埼玉県川越市久下戸2785 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR川越線南古谷 徒歩33分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
049-245-4138 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
素盞嗚尊 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
氷川神社<川越市久下戸二七八五(久下戸字前田)>
当社は川越市の東南端、久下戸に鎮座する。地名は郡家の設置によると思われる。『風土記稿』には「久下戸村或は久下士とも書す」とある。
昭和一七年に刊行された『武蔵国入間郡久下戸氷川神社之考證』には、当社は往古、荒川流域を開拓した出雲系の種族と関係が深く、郡家の崇敬も厚かったであろうと述べている。同書及び『明細帳』には、当社は武蔵国一の宮氷川神社(現大宮市)からの分霊社であると記している。
江戸期は曹洞宗円通山観音寺が管理に当たり、明治初めの神仏分離に際し、同寺は廃寺となった。その後、当社は無格社となったが、昭和九年村社に昇格した。
明治四五年に境内社の市杵島神社・御嶽神社・神明神社・八坂神社・浅間神社・稲荷神社を本殿内に合祀し、更に、字薬師の御嶽神社、字杉之本の稲荷神社、字北谷の市杵島神社、字前田の神明神社・稲荷神社・三輪神社、字中方の富士嶽神社、字堤外の諏訪神社を合祀している。(「埼玉の神社」より)
境内碑
社格昇進社務所新設記念碑
當氷川神社ハ其ノ創建古ク由緒亦深ク郡家郷一圓
ノ尊信厚カリシガ戦國ノ兵燹及ビ數次ノ水烖ニ罹
リ爾来幾變遷久シク無格社ノ儘ナリシヲ赫々タル
神威ノ顯現ト崇敬者ノ熱誠トニ依リ昭和九年參月
指定村社ニ加列セラレ又篤志者ノ寄附ト氏子ノ寄
進トニ依リ同拾壹年四月社務所ノ竣功ヲ見タリ是
ニ有志胥謀リ碑ヲ建テ以テ社格昇進並ニ社務所建
設ヲ記念シ永ク後昆ニ貽ス
昭和拾貳年七月中澣
埼玉縣立川越中學校敎諭正七位淺野光良撰
南古谷尋常高等小學校長正八位吉敷米作書 |
神社・お寺情報 |
境内社:浅間社、辨天社、獅子宮、御嶽社、諏訪社
市指定・古文書
算額(久下戶、水川神社)
文化八年(一八一一)正月、久下戸の氷川神社に奉納された算額で七三cmX一七〇cm、四問の 答と術がみえており、最後の解には開方式が附されている。掲額者は久下戸村の奥貫五平次正定、関根貞六信行、 同富蔵有道、沢田金十郎安亮、渋井村の江尻与七高直、古谷本郷の吉崎源蔵之義の六名である。奥貫家は代々久下戸村の名主をつとめ、家名を五平次と称した。正定は別に孫六と唱え、嶺樹軒とも号した。 嘉永七年(一八五四)八月二四日、七三歳で没したことが分かっている。
算学の伝承は今のところ不明である。
平成元年二月
川越市教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】zx14r
【
最終
更新日時】2024/09/01 10:57:17
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