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基本情報
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住所 |
埼玉県飯能市吾野226-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
西武秩父線西吾野 徒歩10分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
042-978-0392 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御祭神 |
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
建御名方神(たてみなかたのかみ)
日本武尊(やまとたけるのみこと) |
創建・建立 |
景行天皇40年(西暦110年) |
旧社格 |
村社 |
由来 |
【頒布-リーフレット】
武蔵国鎮座吾野三社(アガノミヤシロ)鎮座
我野(アガノ)神社
御由緒
第12代景行天皇40年日本武尊(倭建命)御東征の折り、当地を御通行になり、遠祖神の天之御中主神を勧請せられ、次いで第14代仲哀天皇5年11月御諸別王が平安を祈り、建御名方神と日本武尊を祀ることにより、「三社(みやしろ)大明神」と号した。
その後、鎌倉時代の建久2年(1191年)に「右大将源頼朝承士八人 秩父次郎重忠奉行之社職朝日藤太夫元次」との御造営の棟札があり、さらに奥州の藤原泰衡追討祈願成就につき2百町余の山畠安堵の文を載せ、次に頼朝献詠と伝える 「万代もかけて吾那(アガナ又はアガノ)のひとむらに鎮まりませるみやしろのみや」 の一首を記している。
又、岡部六弥太忠澄が大檀那となった鳥居再建(建久8年9月・1197年10~11月)、将軍久明親王発願本殿造営(永仁4年・1296年) 等々の御造営棟札があり、天文19年6月(1550年8月)「御神輿」 の再建に大檀那(岡部)泰忠の名が見え、岡部氏との関係を記する物が多い。
のち、江戸時代には徳川幕府より御朱印社領3石5斗を賜る。
御朱印には「妙見社」、「妙見宮」と記されているので、中世この一帯が吾那(あがな)鄉と称し、秩父大宮鄉の秩父神社(秩父の妙見社)との関わりが深かったことがうかがえる。
秩父の伝承に「昔、秩父国造(ちちぶこくぞう)に3人の姫がおり 長女は秩父神社、次女は当社、三女武甲山のお社へ嫁がれた」と伝えている。
「我野神社」には明治元年9月(1868年10月)に改号し、拝殿の社名額面は明治政府の神祇官長(平山省斎)が記している。
御社殿
現在の御社殿は権現造の御社殿だが、御本殿は安永4年11月(1775年12月)朝日越前守藤原安永・朝日水島守藤原有寿造営の一間流造檜皮葺で彫刻が典雅である。
境内
当社は、亀井山と称する小高い杜の麓に鎮座し、亀井山の頂きには東郷平八郎書の忠魂碑(大正14年・1925年建立)が建っている。
鳥居は、安永10年3月(1781年4月)再建の銘がある朱塗の両部鳥居の姿をそのままに平成14年(2002年)1月に再建された。
拝殿内外には江戸期から絵馬(椿山等)が多数奉納され、本殿覆屋には甲源一刀流の初代比留間与八利恭の剣術奉納額(嘉永元年・1848年)もあり、江戸時代から連歌(俳句)も多数奉納され、養仁叟月雄(朝日播磨守藤原真澄)の碑(明治10年・1877年)も建立されている。
又、江戸時代に天文観測に使われた「渾天儀=こんてんぎ」(現在は県立博物館に常設展示)もある。
例大祭
江戸時代には神楽も奉納されたが、現在の例大祭(7月最終土曜)には、獅子舞(市指定文化財)・川瀬祭(市指定文化財)の行事が伝えられている。
「獅子舞」は前日に「揃え(揃い)」が舞われ、例大祭当日には「宮参り」(御社殿玉垣内)・舞殿で「洞(ホラ)入り」・「洞(ホラ)返し」・「花吸い」・「女獅子かくし」・「岡崎」にて中入り、夜には川瀬禊戸(みそぎど)にて「幣掛り」・ 還御の後に舞殿にて「狂い込み」の八庭。
「獅子頭」は、「太夫」「男獅子」「女獅子」の3頭で天保14年(1843年)に塗替の事が記録されている古い獅子頭である。
平成12年(2000年)に塗替られた。
例大祭が別名「よまち(夜まち)」と呼ばれているのは、特殊神事である「川瀬祭」が夜に行われることにもよる。
川瀬祭は御神輿(天文19年6月・1537年銘の古い御神輿も現存するが、現在のは弘化4年6月・1847年に御造立)に御神体が御遷になり、吾野(那)河の川瀬の禊戸において「禊(みそぎ)」をされる神事である。
夜になると諸役方がそれぞれの装束を着し、社務所に揃い御社殿へ、御神体が御本殿の奥より御神輿にお遷りになられると、御榊役が次々に所役名を読み上げ(めしだし)、最後に「右の通り太々叶(だいだいかのう)」と声高に読み上げると御神輿・諸役方・獅子舞・笠鉾(かさぼこ)(市園囃子)の行列が一斉に川瀬に向かって進みだし、川瀬の禊戸に御神輿がお着きになると、御神輿(御神体)は笹竹にて川のせせらぎの水にて禊をされる。
ついで、獅子舞の「幣掛り」が舞われる。
この「川瀬祭」は古社・古風の漂う一幅の絵巻の趣がある。
御帰還されると獅子舞の「狂込み(通称:しばがため)」が演じられ「これにて千秋楽」の声で一切の行事は終わり、「黒酒」での「直会(なおらい)」となり宮司を胴上げし、シャンシャンで「よまち」は幕を閉じる。
翌日は日本武尊が猪狩をされ、酒宴を催された(獅子岩・猪狩の大樅・十六舞)「神明社(お神明様)」に「獅子舞」を奉納(素人が舞う)するのが恒例となっている |
神社・お寺情報 |
社殿の天井には安産や子の無病息災を祈願した昔の女性が奉納した髪の毛が祀られている。
御朱印は社務所か社殿隣の宮司宅にて初穂料500円。
末社は本殿右奥に稲荷社、天神社、疱瘡社、白山社、山神社、財辨天社などがあります。
新編武蔵風土記稿
秩父郡中澤組
妙見社 神體銅像長五寸左ニ毘沙門天右ニ諏訪明神ノ木立像ヲ安ス阪石村本村及ヒ中澤ノ內小名三社ノ鎭守ナリ例祭六月十五日十一月三日慶安年中三石五斗ノ社領ヲ附セラル神職朝日播磨吉田家ノ配下ナリ緣起ノ略ニ曰武州秩父郡我野鄕三社大明神ハ妙見大菩薩ナリ左脇日本武尊本地毘沙門天也右脇者獵師宮本地諏訪大明神也仲哀天皇丙子年十一月三日三神相共現于茲云々建久八年岡部六彌太忠澄再興社頭其後天正六年大石遠江守源秀信建立之云々棟札アリ裏ニ會所當宮大夫左衞門太郞筆者靈藏坊ト記ス此外應永三年ノ棟札アレトモ文字滅シテ讀難シ 天滿宮 辨財天 以上合社 愛宕社 藥師十二神 子安明神 以上合社 |
例祭日 |
7月最終土曜 例大祭 |
神紋・寺紋 |
左三つ巴
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更新情報 |
【
最終
更新者】龍太郎
【
最終
更新日時】2023/07/30 09:59:43
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