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基本情報
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住所 |
埼玉県さいたま市浦和区大東1-9-13 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR京浜東北線北浦和 徒歩19分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
048-853-0200(一山神社) |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
天照大神 |
創建・建立 |
不詳 |
旧社格 |
村社 |
由来 |
神明社<浦和市大東一-九-一三(領家字大東)>
当地は近年まで領家と呼ばれ、平安時代以降の荘園領主「領家」に由来するといわれる、文献上の初見は永禄三年(一五六〇)の岩槻城主太田資正判物で、「大宮・浦和之宿、木崎・領家方」と見える。
当社の由来は明らかではないが、本殿の内には一面に小石が敷き詰められ、あたかも伊勢院宮のお白石を模倣しているかのおうである。
『風土記稿』によれば、領家村の鎮守は北隣の下木崎村にある三室明神社であった。しかし、領家村の人々は小字ごとにそれぞれの神社を奉斎し、小名大東で祀られたのが当社であった。
明治に入って当社は領家村の村社となったが、明治二三年の棟札を見ると、「神明ぐう氏子中 廿三軒」とあり、当時の領家の全戸数七十余と比較すると、旧来の大東で祀り続けてきたことがわかる。ちなみに、領家のうち字館野は八幡社を、字南箇は稲荷社を祀っていた。ところが、明治二十二年に当地が木崎村の大字として編入されたため、同四十年に旧領家村の各社は御室社(旧三室明神社)に合祀されることとなった。しかし幸いにも当社の社殿及び境内はそのまま存続されたため、その後も従来どおり大東の人々は神明社を祀り続けた。年を経て、合祀を解きたいという氏子の要望が次第に高まり、昭和三十八年の当社社殿の大改修を機に、念願であった三室社からの神霊の復祀を遂げ、併せて神社本庁に登録し、名実共に再興を果たした。
(「埼玉の神社」より) |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2021/11/21 12:40:43
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