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基本情報
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住所 |
埼玉県朝霞市膝折町2-20-44 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武東上本線朝霞 徒歩24分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-461-4004 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
素盞鳴尊 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
『風土記稿』によれば、膝折の地名は小栗小次郎助重が賊に追われて馬で当地まで逃れて来たところ鬼鹿毛というその馬が膝を折って死んだことに由来する。また昔高麗の城の落人五人が原野であった当地を開墾したという。一方『埼玉県地名誌』では「鳥取県三朝町の中津地方で二月初午をスネオリといって、この日は山の神の木数え日で山に入れば脛を折る」との伝説に基づき、地名の由来を推測している。
当地は既に室町期から宿駅として栄え、『廻国雑記』を著した聖護院道興は文明十八年(一四八六)に膝折の里に入り、ここで休憩した際に、この地に市が立てられて商人が集まっていたと記している。武蔵野台地の水の乏しい中、ここは低地にあり水に恵まれたことが、早くから宿場を形成する要因となったものであろう。
当社はこの膝折の里の南方の「子の神」と呼ばれる山上に鎮まる。創建についての伝承は語られていないが、古くから山の神として祀られていた子の神が坐す山上に、中世、一の宮として名高い氷川神社が村の鎮守として勧請されたことが推測される。
別当は真言宗持明院で、当社の北方八〇〇メートルほどの所(膝折一丁目・塩野製作所の辺り)がその跡地で、明治八年に廃寺となった。
『明細帳』によると、明治四十三年に宇宿の愛宕社・字上ノ原の稲荷社・字下ノ原の稲荷社の無格社三社を村社である当社に合祀した。(境内掲示より) |
神社・お寺情報 |
新撰武藏風土記稿
新座郡膝折宿
氷川神社 年貢地三畝 村ノ南小名子ノ神ト云所ノ山上ニアリ 本社ハ宮作ニテ上屋九尺ニ二間アリ 勸請ノ年代詳ナラス 村內持明院ノ持 末社 天神社 稻荷社 辨天社 |
例祭日 |
・新年祭(一月一日) ・例祭(四月二十五日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/11/23 11:19:52
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