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基本情報
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住所 |
埼玉県秩父郡小鹿野町下小鹿野1378 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
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御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0494-75-3168 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
日本武尊 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
八劍神社 御由緒
小鹿野町下小鹿野一三七八
◇御神体の剣が埋められた伝承が残る古社
当社は赤平川に沿って開けた農業地帯である信濃石地区に鎮座する。
第十二代景行天皇の皇子、日本武尊が東国平定の際に当地に立ち寄り信濃石の神木であった大欅の傍らで休息したという故事から、延暦二十年(八〇一)八月に土地の人々が日本武尊を偲んで祠を建てたのが当社の始まりといわれる。
また一說には、北条氏の家臣が兵火で当地へ落ちる際に、三種の神器のひとつである剣を持参し、その剣を御神体として祀ったことから、八劍社の名がついたとも伝える。
この北条氏の家臣の末裔とされる柴崎家にあった古記録(小鹿野大火で焼失)に、往時の御神体であった剣が村內に埋められている旨が記されていたため、総代による発掘調査が試みられたが剣は発見出来なかった。尚、內陣には御神体のほかに、石棒と阿弥陀如来を表す梵字を刻んだ板碑が納められている。
明治以前は本山修験の寿宝院(通称を護摩堂と云い、大正初期まで残されていた)が別当として当社を管轄していた。
昭和十九年(一九四四)の小鹿野大火に際しては、社殿全焼の被害を受けたが、同二十三年に三田川小学校の旧奉安殿を用いて本殿が再建され、同四十四年には拝殿が落成し、今日に至っている。 |
神社・お寺情報 |
水盤 慶應元乙丑八月(1865)
新編武蔵風土記稿
秩父郡下小鹿野村
八剱社 例祭八月八日小名信濃石邊ノ鎭守ナリ本山修驗入間郡越生鄕山本坊ノ配下壽寶院ノ持ナリ
境内碑
拜殿建設記念碑
昭和十九年二月一日小鹿野大火災に当神社も類焼社殿は悉く灰燼に帰すも尾田薪消防団の活躍により御神体は安泰を得たり
尚氏子も数戸を残すのみにて罹災す 時恰も終戰前後 混乱と缼乏に耐えて氏子は我が家の復興に
励みつゝもこの間昭和二十三年神殿を再建 御神体を遷座し得たるは全く氏子敬神の賜なり
此の時氏子相計りて拜殿建設を画し翌年より年頭に献穀して資金の積立を励行かくして二十有余年罹災者も大方復興し生活も漸く安定を見るも物價の高騰著しく丹誠の積立金にては再建も覚束なく昭和四十二年春総会に於て寄附金の賛同もあり勿ち予想を上回る多額となり同年十月着工工事は氏子と業者の献身的努力により進捗昭和四十三年四月三日見事に落成す
永年願望の拜殿建設もこゝに達成旧社に増す荘厳なる社殿を拝する氏子の歓喜感激は又一入なり
昭和四十三年四月吉日 |
例祭日 |
・例大祭(四月第一日曜日) ・秋季大祭(十月第一日曜日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2022/12/24 09:10:31
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