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基本情報
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住所 |
埼玉県秩父市大滝696 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
秩父本線三峰口 徒歩41分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0494-55-0241 三峯神社 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
火産霊神,奥津比古神,奥津比賣神,少彦名神 (ほむすびのかみ,おくつひこのかみ,おくつひめのかみ,すくなびこなのかみ) |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
竈三柱神社 御由緒
秩父市大滝六九六
◇旧大滝村の総鎮守 火防の神様
当社の鎮座する旧大滝村は、県の西端に位置し、二〇〇〇m級の山々がそびえる秩父多摩甲斐国立公園の中にあり、その地名は、この地に源を発する荒川の奔流が大滝のごとく見えたことによると伝えられている。
元来、当社は三宝荒神社と称し、弘仁年間(八一〇~八二四)の創建と伝えられ、東国の女人高野として信仰を集めている臨済宗大日向山大陽寺の境内に古くから祀られていた社であった。それが明治維新後、神仏判然令により、竈三柱神社と改称の上、同寺に隣接した村の共有地へ移され、旧大滝村の村社となった。時に明治二年(一八六九)のことである。
しかし、鎮座地は大血川の上流、妙法ヶ岳の山中で参拝には不便であるとの理由から、昭和十六年(一九四二)に現在の鎮座地である字大輪の和田神社の旧境內地へ移され、今日に至っている。
和田神社は、古くは妙見社と称し、大輪の鎮守として奉斎されてきた社であったが、明治四十一年(一九〇八)当社に合祀され、選拝所となっていたもので当社遷宮に当たっては拝殿の増築や境內の整備がなされた。
祭神は、火産霊神・奥津比古神・奧津比賣神の火神三神に和田神社の祭神であった少彦名命を加えた四柱である。これらの神々を祀る本殿は一間社流造りで各部に彫刻が施された立派なものである。 |
神社・お寺情報 |
和田神社御神燈 天保十二辛丑十一月(1841)
奉待月天子供養 享保十九年寅之三月(1734)
奉参詣富士浅間湯殿山 他 元文二丁巳天(1737)
水盤 明和三丙戌年十一月吉日(1766)
境内碑
御大典記念碑
三峯神社宮司廣瀨和俊篆額
当神社は大滝村の総鎮守として古来大日向山に鎮座したが 彼の昭和の戦時中出征兵士の祈願参拝多きを加えたので 氏子の熱望に応えて昭和六年この和田の杜に御遷座申し上げたのであった
以来あたかも半世紀を経て彼の激動の昭和の御代から平成の新代を迎え ここに畏くも第百二十五代の天皇陛下には平成二年の秋 御即位田大礼の諸儀を滞りなく行わせられ 天つ日嗣とともに窮りなく常磐に堅磐にましますことは国民の齊く慶賀に堪えないところ 当社に於ても奉祝の微衷を捧げむものと 氏子相寄り相議って御大礼記念事業を興し 御神前大太鼓の新調 御祭礼用御旗杭の改築と大幟の新調 並びに国旗掲揚塔の新設を志したところ この碑面に見られるような誠心溢れる奉賛に接して奉祝事業の円滑な進展を見 本日めでたく記念碑の除幕式に至った
われら一同この感激を忘れることなく 打ち建てた記念碑とともに慶祝の心を後世に伝える
平成四年五月八日 例祭の吉辰
撰文並謹書 宮司 新井啓 |
例祭日 |
例年5月8日の例祭が、平成24年より5月の第二日曜日に変更 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2022/06/25 19:39:23
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