みんなの御朱印
65
ZEROさん
2025年1月1日 00:00
24
ZEROさん
2025年1月1日 00:00
51
はじめさん
2023年7月24日 06:28
46
はじめさん
2023年7月24日 06:26
53
匿名さん
2023年7月21日 00:00
46
匿名さん
2023年7月20日 00:00
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
0
176
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 |
埼玉県熊谷市鎌倉町44 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
秩父本線上熊谷 徒歩0分 |
| 御朱印授与時間 |
|
| 電話番号 |
048-521-5677 |
| FAX番号 |
|
| 公式サイトURL |
|
| 御祭神 |
素戔男尊(すさのおのみこと) |
| 創建・建立 |
文禄年間(1592-1596) |
| 旧社格 |
|
| 由来 |
八坂神社(やさかじんじゃ)は、熊谷市鎌倉町に鎮座し、秩父鉄道秩父本線(秩父線)の上熊谷駅(旧鎌倉町駅)のすぐ北側に位置します。また、愛宕神社内あることから通称「愛宕八坂神社」とも称される。
『明細帳』によれば、当社は、戦国時代の大永二年(1522年)に本山派修験大善院の三世行源法印(鎌倉町の野口医院の先祖)が火事の多かった熊谷の街の火災防止のため山城国愛宕郡に鎮座する愛宕大神を火難よけとしてこの地に勧請したことに始まるという。 |
| 神社・お寺情報 |
その後、安土桃山時代の文禄年間(1592-1596)に疫病退散を祈って、京都の八坂神社を勧請、市の発展と商売繁昌のための市神・伊奈利をあわせて三神を合祀し、「愛宕牛頭天王稲荷合社」として祀られるようになりました。
江戸時代には、享保年間(1716-1736)と宝暦年間(1751-1764)の二度火災に遭いましたが、その都度町の人々の協力により社殿が再建されました。
明治時代に入ると、神仏分離によって大善院の管理を離れ、社号も現行の愛宕神社に改められました。一方、大善院も復飾して野口姓を名乗り、当社に奉仕を続けたが、太平洋戦争後は医業に専心することになり、代わって久下の栗原家が奉仕しています。
昭和二十年(1945年)八月十四日、大戦最後の空襲に見舞われ、熊谷の町は焼け野原になり、当社の社殿も三度灰燼に帰してしまいました。当社の再建は、戦後の復興に合わせて行われ、まず国道一七号の拡張に伴って八木橋デパートの前にあった旧来の社地から秩父鉄道上熊谷駅のすぐ南にある現在の境内に移転し、ようやく昭和二十六年(1951年)に社殿が再建されました。元々、この境内地には、今は向かいにある宇佐稲荷神社が鎮座していたが、「愛宕様が移ってくるなら少しでも広い方がよかろう」ということで、同社が境内を譲って動いてくれたのだといいます。 |
| 例祭日 |
「関東一の祇園」ともいわれる「熊谷うちわ祭」は、毎年七月十九日から二十三日にかけての五日間(一般向けは二十日から二十二日の三日間)に開催される八坂神社(愛宕八坂神社)の例大祭であり、元は祭りに合わせてお赤飯を配っていたものを明治時代に簡略され渋うちわ(表面に柿渋を塗った丈夫なうちわ)が配られたことからこの名がついたと言われています。 |
| 神紋・寺紋 |
未登録
|
| 更新情報 |
【
最終
更新者】匿名
【
最終
更新日時】2023/08/05 19:10:27
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。