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基本情報
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住所 |
埼玉県本庄市下野堂1-21-2 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線神保原 徒歩20分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0270-65-2305 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
伊邪那岐命 伊邪那美命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
二柱神社 御由緒
▢御縁起(歴史)
本庄市下野堂三二三
当地は、元々小島村の内であったが、慶長年間(一五九六一六一五) に分村して杉山村となり、その後、延宝五年(一六七七)の検地までに分村して下野堂村となった。下野堂は下ノ堂とも書き、口碑によれば地名の由来は、当社の前身である「四門堂聖天」によるという。
社伝によると当地の草分けである塩原家は、元々甲斐の武田信玄の家臣であった。武田信玄はかねてより聖天に帰依しており、領内より採掘された金を使って一六体の聖天像を造らせ、主立った家臣に分け与えた。塩原家の当主勘解由もその内の一体を拝受し、永禄年間(一五五八-六九)に所領であった当地に堂を建立し、聖天像を祀った。この堂は四方に門を配置していたため、村人から「四門堂聖天」と称され、崇敬された。天正十年(一五八二)に武田家が滅亡すると塩原勘解由は四門堂に隣接して居を構え、帰農して当地の開拓に当たり、同十八年(一五九〇) にその功が認められて当地の所有を許された。その後、延宝五年(一六七七) の検地で四門堂の北西の隣接地が除地とされると、塩原家はそこを新たな境内地として、社殿を建立し、聖天像を祀って聖天社と称した。『風土記稿』によれば、当社は下野堂村及び杉山村両村の鎮守で、杉山村の日輪寺の持となっている。別当の日輪寺は、聖天山光明院と号した。
神仏分離後、当社は二柱神社と改称し、明治五年に村社に列した。 |
神社・お寺情報 |
新編武蔵風土記稿
兒玉郡下野堂村
聖天社 本地十一面觀音ヲ安ス當所及杉山村ノ鎭守ニシテ杉山村日輪寺ノ持 |
例祭日 |
・春の大祭(四月三日)・天王様 (七月十五日) ・大祓 (七月二十日) ・秋の大祭(十一月三日)・新嘗祭 (十二月五日)・御手長様(十二月十九日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/03/21 20:19:10
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