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基本情報
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住所 |
埼玉県神川町大字植竹602 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR八高線丹荘 徒歩6分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0495-77-3497 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
大山咋命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
第62回伊勢神宮式年遷宮記念
日枝神社 御由緒
□御縁起(歴史)
神川町植竹六〇二
近江国一宮で、比叡山延暦寺の地主神とされる日吉大社は、朝廷の崇敬が厚く、また、天台宗の護法神としても崇敬されてきた。このようなことから当社の創建には、別当であった天台宗長慶寺がかかわったと考えられる。長慶寺の開山は法印天神房善というが、没年は不詳で、宝永二年(一七〇五)に十一世注印枢運の時、児玉郡金鑽村金鑽寺の末寺となったと伝える。
『児玉郡誌』には「当社創立は、大治五年(一一三〇)に近江国滋賀郡日吉神の御分霊を遷座し、当村の鎮守となすと云ふ、永正元年(一五〇四)九月本殿及拝殿を改造し、天正三年(一五七五)四月に随神門を建設すと云ふ、当時賀美郡金窪のた瑘城より大畠大膳広忠当地に来り土着なし、 当社を厚く信仰したるより神徳大に増加す、安永年中(一七七ニ~八一)社殿を改築し石灯籠を建立す、其後屡々社殿を修繕す、社領は字猿楽と云ふ処を地頭より寄附したりと、是れ当社の縁故地なり(以下略)」と記されている。
『風土記稿』植竹村の項には「山王社 村の鎮守なり、長慶寺持、末社稲何 諏訪 八幡 春日 天王 天神」と載せられている。
明治初年の神仏分離により別当の長慶寺から離れた当社は、明治五年に村社となり、同三十八年には字諏訪森の無格社諏訪社を境内に合祀した。
境内碑
日枝神社社誌
当神社の創立は詳らかではないが古老の伝によると正平年間であると言う。
御祭神は大山咋命を奉斎、世に山王の神と申しあげ、近江國日吉大社の御同神で山野の樹木や五穀をのばし育てる御神徳を有しておられる。
本村の鎮守として村民の崇敬極めて暑く旧社格は村社である。
境内は広大で壹千参百四坪の森厳な神域であり、昭和二十三年末社十四社を合社棟に遷座し現在に至る。
祭例日
新年祭 一月二日
祈年祭 二月二十六日
例大祭 四月十日
秋季大祭 十月十九日
新嘗祭 十二月十日
昭和五十八年四月十日 |
神社・お寺情報 |
御神燈 安永元壬辰歳(1772)
日枝神社修繕碑記
武藏兒玉郡丹荘村有里曰植竹其社曰日枝神社□歳風雨所復刹往
々□圮里人曰捨而不治非所以敬神□相謀□工□□修□其拜殿随
臣□鳥居及支社又設覆屋□正殿新□神楽殿及石建□□□神所鎮
護七十七戸皆醵資佽之曰相約三歳春秋擧祭禮奏神楽毎戸奉神□
祭日必詣拜會於神前話年豊□及農事定以爲例起功明治二十八年
十二月至三十一年十一月而□□凢一千五百圓役工亦同費□於是
故者新黝者煥殿總祀容有□其旧民壹□□敬神□有主里人來請文
乃□其顛末勒幹蠱捐資者姓名於碑陰
明治三十一年十一月
正二位文學博士重野安繹撰
従三位勲四等 白倉道□書 |
例祭日 |
・新年祭(一月二日) ・祈年祭(二月二十六日) ・春祭り(四月十日) ・秋祭り(十月十九日) ・新嘗祭(十二月十日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2021/08/27 20:30:24
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