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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県八潮市二丁目196-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
つくばエクスプレス線八潮 徒歩24分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-996-1888 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
須佐之男命,大己貴命,,, (すさのおのみこと,おおなむぢのみこと) |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内碑
記念碑
氷川神社の由来
御祭神は素戔嗚尊大國主命豊受比賣命創立年代は詳らかでないが武蔵國大宮氷川大社の御分神であり社頭の御神木椎の樹令は五〇〇有余年と推定される古木で確認された
昔時の氏子集落は上二丁目下二丁目若柳の村組に分れ上二丁目が本田方に位置する
二丁目の地名は条里遺構地名といわれ集落には室町時代の板碑多数分布あり中世村落であることが確認された
当時は氷川神社久伊豆神社合殿と唱え鎮守様として氏子の守護神で祭礼には獅子舞を奉納し五穀豊穣家内安全商売繁昌を祈念し楽しい祭とした
社殿は安政の大地震により倒壊しこれは再建されたと伝えられている
明治の御代に下二丁目若柳両稲荷神社合社の上氷川神社と改称爾来祭礼は毎年七月十五日に決められた
合社前には七月十五日上二丁目七月十六日下二丁目八月一日若柳と年三回獅子舞奉納されたが明治四十二年一回に改められ現在に至っている
社殿は歳月を経て老朽化に加えて大正十二年の関東大震災に大きく破損これの修復を重ねられて来たが大神の尊厳を損うことを憂い氏子総代会を開き再建決定これを氏子一同に計り神社建設委員会を昭和六十一年發足氏子崇敬者の奉讃を仰ぎ御社本殿拜殿獅子奉安庫水舎社務所境内玉垣等の完成を得昭和六十二年七月十五日例大祭に併せて御遷宮式を盛大に挙行された
多年に亘る念願達成と建設完成を祝し茲に碑を建立し記念とする
昭和六十二年七月吉日 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
市指定無形文化財
二丁目の獅子舞
指定 昭和四十六年三月十六日
所在地 八潮市大字二丁目一九六
二丁目は、中川右岸も自然堤防上に集落が発展した。集落は、上・下・若柳の三つのムラグミに分かれ、上は二丁目の本田方に位置する。二丁目の地名は、条理遺構地名といわれ、室町期の板碑が多数分布する中世村落でもあった。
社号は、氷川神社久伊豆神社合殿と唱えたが、明治四十二年に氷川神社と改称、同年に下と若柳の稲荷神社を合祀し、現在に至る。境内の椎は、樹齢五〇〇年と推定される古木である。なお、氷川神社本殿・拝殿は、嘉永元年(一八四八)の再建と伝える。
獅子舞
二丁目の獅子舞は、七月十五日の氷川神社祭礼に奉納される。明治四十二年までは、七月十五日上二丁目氷川社、七月十六日下二丁目稲荷社、八月一日若柳稲荷社の年三回であったが、年一回に改めた。由緒は定かでないが、草創一六軒が獅子株を持ち祭礼に奉納したのが、明暦元年(一六五五)のころであったと伝える。
獅子舞は、埼葛南部・足立区・葛飾区(埼玉県東南部系統)にみられる竜頭舞で、仕種は七曲(花・女獅子隠し・笹・大綱・橋渡し・御幣・太刀)の掛りがある。舞の間には「千早振る神の斎垣に弓張りて、あたりを固めあらたかに」の拝歌がうたわれる。更に獅子宿において、場謡がうたわれるなど、二丁目の獅子舞は、古式の祭礼儀式と舞が継承される。
昭和五十九年三月
八潮市教育委員会 |
例祭日 |
例祭は毎年7月、「海の日」の前日の日曜日に斎行。 獅子舞奉納を行っている。 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】shim
【
最終
更新日時】2025/07/24 17:48:08
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