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基本情報
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| 住所 |
神奈川県茅ケ崎市柳島2-3-10 |
五畿八道 令制国 |
東海道 相模 |
| アクセス |
JR相模線茅ヶ崎 徒歩30分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
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| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御祭神 |
誉田別命(ほむだわけのみこと) |
| 創建・建立 |
不詳 |
| 旧社格 |
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| 由来 |
現在の祭神は誉田別尊(応神天皇)である。 ・文政五年(一八二三年) 鳥居が造られる。(鳥居の年銘による) ・天保十二年(一八四一年) 『新編相模国風土記稿』に「十羅刹女社 鎮守なり」とある。 (十羅刹女とは、鬼子母神と共に法華経の信仰者を擁護する十人の鬼神女のこと) ・嘉永元年(一八四八年) 柳島の鎮守の社殿建築を、鎌倉郡村岡郷高谷村(現在の藤沢市内)の大工文蔵が総工費二十九両で受け、同年十一月十五日に竣工する。(藤間家資料による) ・大正十二年(一九二三年)九月一日 関東大震災のため鳥居を含め全壊する。 ・大正十五年(一九二六年) 当時の区長の片野荘太郎は神社総代と図り、村民の総意を得て全社殿と鳥居の再建を決める。大工は地元の石井金寿、宮大工は愛甲郡愛川町半原の矢内匠家に依頼し、倒壊前の姿に竣工する。 ・昭和二十年(一九四五年)七月十六日 太平洋戦争の平塚空襲の際に、全焼する。 ・昭和二十四年(一九四九年) 千葉県行徳(現在の市川市内)の神輿・堂宮師の後藤直光により、神輿を新調する。 ・昭和三十二年(一九五七年)十一月二十三日 氏子をはじめ多くの方々からの寄付を得て、社殿を建立する。大工は石井幸三郎・府川篤、木彫師は江口裕康。 ・昭和五十年(一九七五年)五月四日 本殿を再建する。大工は石井幸三郎・府川篤、鳶職は山口道雄。 現在に至る。 平成三十年三月吉日 柳島八幡宮 |
| 神社・お寺情報 |
●庚申塔 庚申塔(こうしんとう)は、庚申信仰をともにする人たちによって建てられた石仏の一つです。 昔、庚申(かのえさる)の日の夜は、人々は集まって眠らないで過ごしました。この夜に眠ると悪いことがあると信じられていたのです。 このような信仰を持つ人々はその後、自分たちの死後の安楽を願って庚申塔を建てるようになりました。 庚申塔は現在、市内に百基近く見つかっています。 ここには三基ありますが、一番大きな塔は 江戸時代初期の万治三年(一六六〇年)に作られたもので、市内では八番目に古く重要なものです。 ・しょうめんこんごうどれにも「見ざる(猿)」「聞かざる(猿)」「言わざる(猿)」 が彫ってあります。また、その一つには六本の腕を持った青面金剛も見られます。 平成三十年三月吉日 柳島八幡宮
●折れた鳥居 この折れた鳥居は、大正十二年九月一日 (一九二三年)の関東大震災の被害の状況を示すものです。 当時の柳島地区は世帯数一六一戸、 ほとんどの家が倒壊し、残ったのは三戸だけでした。地震の大きさを後世の人々に伝えようと残してあります。 折れてはいますが、江戸時代の年号が刻まれている茅ヶ崎市内では数少ない貴重なものの一つです。 平成三十年三月吉日 柳島八幡宮 |
| 例祭日 |
例祭 :7月14日
浜降祭:7月15日 |
| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】ひー
【
最終
更新日時】2026/06/20 08:10:16
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