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基本情報
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住所 |
山梨県甲州市塩山上於曽1054 |
五畿八道 令制国 |
東海道 甲斐 |
アクセス |
JR中央本線塩山 徒歩7分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0553-33-4006 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
素戔嗚尊 五男三女神 菅原道真 |
創建・建立 |
承和9年(842年) |
旧社格 |
県社 |
由来 |
『甲斐国社記寺記』によれば、承和9年(842年)、甲斐国司の藤原伊太勢雄が勅命により少目飯高浜成に命じて創建される。寛弘元年(1004年)には相神に菅原道真を祭っており、これが「菅田天」の由来となっている。古くから甲斐源氏の鎮守と位置づけられ、特に甲斐武田氏の篤い保護を受け、神主は府中八幡宮への参勤を免除された。甲府の鬼門にあたることから、武田信光のころ御旗(雲峰寺所蔵)とともに武田氏の家宝として相伝されていた楯無が安置された。鎧は於曽氏が管理していた。『甲斐国志』によれば、永禄4年(1561年)2月に武田信豊から、永禄7年(1564年)5月には板垣信安からそれぞれ社領寄進を受けている。『国志』によれば、武田氏滅亡に際しては楯無鎧が塩山向嶽寺の杉下に埋められ、後に徳川家康により再び当社に安置されたとする伝承あり。天正11年(1583年)には徳川氏から社領安堵を受けて、慶長8年(1603年)には禁制を下されている(『社記』による)。慶長7年と正徳3年には社殿造営が行われる。宝物殿には「楯無」と比定される小桜韋威鎧(こざくらがわおどしよろい国宝)を所蔵しており、これは現代に至るまで秘蔵であったが、江戸時代には幕命で甲州の古記録調査を行っていた青木昆陽が見聞し、『甲陽軍鑑』の流行もあり多くの参拝者が往来した。昭和40年(1965年)3月の火災で社殿を焼失するが、昭和44年(1969年)に復興。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
五七桐
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更新情報 |
【
最終
更新者】みーちゃん
【
最終
更新日時】2020/02/27 11:12:25
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