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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
静岡県浜松市中央区元城町111-2 |
五畿八道 令制国 |
東海道 遠江 |
アクセス |
遠州鉄道遠州病院 徒歩6分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
御祭神:徳川家康 配 神:事代主命 大国主命 |
創建・建立 |
創建:1886年 (明治19年) |
旧社格 |
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由来 |
明治維新後の1877年(明治10年)、元幕臣で静岡藩の浜松城代であったこともある井上延陵が、過去に徳川家康が居城とした浜松城の跡に東照宮を建立しようと考えた。工事は明治17・18年ごろに着手された(竣工時期は不明)。建立には静岡県知事をはじめとして地元住民の寄付によってまかなわれた。また、神社の石材として、延陵の故郷である宮崎県の石材が使用されたという。竣工後、延陵は1887年(明治20年)ごろに東照宮のすぐ近くにあった遠江国報徳社(現在の大日本報徳社の前身)に500円を寄付し、管理を委託した。
【地元の神社となる】 東照宮は元城町にあったものの、こうした経緯から地域住民とは特にかかわりがなかった。また、元城町は元城域であった事情から神社がなかった。 そこで、当時元城町に住んでおり、浜松市議会議員でもあった弁護士の大石力は、地域住民の融和を図るとともに、彼らのよりどころとなる神社が必要であると考え、東照宮を地域の神社としようと考えた。そこで、所有権を井上延陵の孫からもらいうけ、大日本報徳社からは管理する立場を引き取った。1936年(昭和11年)には元城町に権利の移転が完了し、大祭が開かれている。また、祭事の際には同時に井上延陵の碑前で慰霊祭が行われている。
【本殿の焼失と再建】 太平洋戦争中の1945年(昭和20年)6月18日と7月29日、後に浜松空襲と呼ばれた集中砲火がアメリカ軍によって行われ、東照宮の本殿なども戦火に巻き込まれ、焼失した。荒涼とした焼け跡にの境内には小さい祠が設けられた。石造りの鳥居は戦災を免れ当時のまま残っている。 1958年(昭和33年)、当時の市長坂田啓造が中心となって都市計画を立てることとなった。その際、焼失した東照宮の処遇が問題となったものの、大石力が尽力し町民にとってこの場所がどれほど大切な場所であるか訴えて認められた。その後、大石力自身が建設委員長となり、敷地を処分しても寄付を受けず、鉄筋コンクリート造りの防火建築、銅板瓦葺き和風権現造りの社殿と社務所が建立された。 |
神社・お寺情報 |
元城町東照宮 (もとしろちょうとうしょうぐう) 別名:引間城址、曳馬城址、引馬城址 |
例祭日 |
10月10日
(10月第1土曜日、10月第1日曜日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】SFUKU
【
最終
更新日時】2024/06/28 22:34:46
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