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★★★★ 参拝日:2018年7月7日 00:00
三河國一之宮の里宮。奥宮は少し距離がありますが、奥宮のお詣りもおススメします。
★★★★ 参拝日:2018年6月9日 00:00
御朱印は6月の期間限定 駐車場は表門側にも少しありました。
★★ 参拝日:2004年12月16日 00:00
三河国一の宮。全国一ノ宮巡り43社め。 ☆評価基準 ☆☆よく覚えていない 無料駐車場200台なので大きな規模の神社ながら(私はJR三河一宮駅から徒歩6分でしたが)記憶に薄い。この後、大神神社を探すのに苦労したため。 行きはよくとも帰りのJR飯田線の本数が少なく三河一宮駅からバスを求めて国道151号を歩き、東名高速豊川IC降り口まで出たところでバスを諦めタクシーで豊橋へ行く。豊橋から新幹線で名古屋へ行き、東海道本線で大神神社へ向かった。電車の本数に注意。
★★★★ 参拝日:2019年10月22日 16:07
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住所 | 愛知県豊川市一宮町西垣内2 |
五畿八道 令制国 |
東海道 三河 |
アクセス | JR飯田線三河一宮 徒歩7分 |
御朱印授与時間 | 8:30~16:00 |
電話番号 | 0533-93-2001 |
FAX番号 | 0533-93-7888 |
公式サイトURL | https://www.togajinja.or.jp/about/#satomiya |
御祭神 | 大己貴命(大国主命) |
創建・建立 | 大宝元年〜4年(701年〜704年) |
旧社格 | |
由来 | 「但馬続風土記」によれば、神代大己貴命は国土を開拓し、諸国を巡幸されて 但馬国朝来郡赤淵宮にお移りになって、更に東方三河国に向かわれたとあり、社伝にはその後命は「本茂山(ほのしげやま)」(本宮山)に留まって、この山を永く神霊を止め置く所「止所(とが)の地」とされたとある。 そして、里宮に大神が鎮まるに至った経緯を、「三河 国一宮砥鹿大菩薩御縁起」(天正二年)は次の様に伝えている。 文武天皇の大宝年間に天皇の病を鎮める為、草鹿砥公宣卿が勅使として「煙巌山」に使わされた。公宣卿は三河の山中において道に迷うが、この時出現した老翁の導きにより無事祈願を果たし、天皇の病も平癒された。天皇はこの老翁に礼を尽くすため、再度この地に勅使を使わされた。 公宣卿は再び三河国本茂山に入って老翁と面会し、その望みにより山麓に宮居を定めることとなった。その時老翁は衣の袖を抜き取り、宝川の清流に投じたが、公宣卿はこれを追って山を下り、山麓辰巳の方の岸辺に留まった袖を取り上げて、七重の棚を作り七重の注連縄を引廻らして斎き祀ったのである。古くから朝廷の崇敬篤く、文徳天皇嘉祥三年に従五位下とあり、順次神階を進め、貞観十八年には従四位上に至った。こうして平安時代には、「延喜式内社」に列せられ、次いで三河国の国司が国内神社に巡拝奉幣する筆頭神社「一之宮」となったのである。 その後江戸時代に入っても周辺藩主の信奉篤く、文政十年に正一位が授けられ、また明治四年には国幣小社筆頭に列せられた。 |
神社・お寺情報 | 砥鹿神社は本宮山に千三百年以上前から鎮まる神を祀る奥宮と、里にて祀る里宮とで二所一体の崇敬を集める神社。また三河国内の筆頭神社一之宮です。 里宮の社殿は伝統的木造建築の檜造りで、鎮守の杜は欅や楠の大樹が茂り桜や紅葉が四季を彩ります。 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | |
更新情報 | 【
最終
更新者】A.S.Y. 【 最終 更新日時】2024/10/06 23:25:17 |