みんなの御朱印
(こうさん)
12 御朱印日:2024年8月14日 00:00 |
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(ひろひろさん)
6 御朱印日:2024年8月12日 14:00 |
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(シュシュミさん)
12 御朱印日:2024年8月9日 00:00 |
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(しゅうさん)
9 御朱印日:2024年8月8日 00:00 |
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(ともさん)
10 御朱印日:2024年8月6日 12:55 |
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(のりさん)
10 御朱印日:2024年7月21日 00:00 |
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(りんあいままさん)
30 御朱印日:2024年7月17日 21:50 |
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(紫雲さん)
29 御朱印日:2024年7月13日 00:00 |
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(TKさん)
29 御朱印日:2024年7月6日 15:04 |
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(まさきさん)
0 御朱印日:2024年6月30日 00:00 |
自分の御朱印
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(はまちゃんさん)
日付:2023年6月25日 05:55 |
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(はまちゃんさん)
日付:2020年1月1日 05:16 |
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※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 三重県伊勢市宇治館町1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 伊勢 |
アクセス | 近鉄鳥羽線五十鈴川 徒歩24分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0596-24-1111 |
FAX番号 | 0596-27-0520 |
公式サイトURL | http://www.isejingu.or.jp/ |
御祭神 | 天照坐大皇御神(あまてらしますすめおおみかみ) |
創建・建立 | 垂仁天皇26年(紀元前4年・弥生時代) |
旧社格 | |
由来 | わが国最初の正史「日本書紀」によると、天照大御神はお生まれになった時、「光華明彩しくして、六合の内に照り徹る」と称えられ、この上なく輝かしい存在として、また、神々の世界を治める日の神としても伝えられています。
高天原にいらっしゃる大御神は皇孫瓊瓊杵尊をこの国にお降しになる際に、豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。 宜しく爾皇孫、就て治せ。 さきくませ。 宝祚の隆えまさむこと、まさに天壌と窮りなかるべし。 と、この国は天地と共に永遠であるとの祝福のお言葉をお与えになりました。 また、この言葉と共に大御神は宝鏡を授けられ、「この鏡は私を見るがごとくにまつれ」と命じられました。 さらに高天原でお育てになった稲穂を授けられ、米をつくる暮らしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられました。 この御祝福の言葉は「天壌無窮の神勅」と呼ばれます。 さて、瓊瓊杵尊に授けられた宝鏡は八咫鏡と呼ばれ、天皇が天照大御神をお祀りするご神体となっています。 八咫鏡は代々宮中で天皇ご自身がお祀りされていましたが、崇神天皇の御代になるとお側でお祀りすることに恐れを抱かれ、皇居を出られ、大和の笠縫邑に神籬を立ててお祀りすることになりました。 そこでは、天皇にお代わりして、豊鍬入姫命が皇大御神をお祀りしていましたが、垂仁天皇の御代に、倭姫命が新たに皇大御神をお祀り申し上げるにふさわしい地を求められることになりました。 倭姫命は大和国を始め伊賀、近江、美濃の諸国を巡られた後、伊勢国の度会の地、宇治の五十鈴の川上に到られ、皇大御神のお教えのままに「祠」を建ててお祀り申し上げることになりました。 今からおよそ2000年前のことです。 祠は社とも書き、家や屋の代という意味で、大きなお祀りに際してその度に新たに建てられます。 神籬や祠のような臨時の建物が、神の宮、つまり神宮と呼ばれるほどに大きな規模になったのは、天武天皇から持統天皇の御代にかけてのことと考えられています。 20年に一度の大祭、神宮式年遷宮もその時代に始まりました。 |
神社・お寺情報 | 式内社(大社)、上七社、二所宗廟、本朝四所
皇室の御祖先の神、国民の大御祖神として崇敬される天照大御神をお祀りする。 近代では社格対象外。「伊勢神宮」は通称であり、正式名称は地名の付かない「神宮」。 内宮は皇大神宮(こうたいじんぐう)、外宮は豊受大神宮(とようけたいじんぐう、とゆうけたいじんぐう)と呼ばれ、これら別宮、摂社、末社、所管社の125社全てを含めて「神宮」といいます。 境内別宮は、荒祭宮(あらまつりのみや)、風日祈宮(かざひのみのみや)。 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 花菱 |
更新情報 | 【
最終
更新者】わがよたれぞ 【 最終 更新日時】2024/09/04 20:22:01 |