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住所 | 埼玉県深谷市上柴町東4-3-2 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | JR高崎線深谷 徒歩28分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0485726179 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.gessyo-in.net/ |
御本尊 | |
宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
創建・建立 | |
由来 | 新編武藏風土記稿
幡羅郡柴崎村 月笑院 禪宗臨濟派國濟寺村國濟寺末 松平山ト號ス 當寺ハ文祿元年十一月ノ起立ニテ開基松平孫三郞信吉ハ法名ヲ自性院天山宗心居士ト云 慶長十年七月十日卒ス 開山月笑祖光慶長十六年八月十三日寂ス 本尊千手觀音ヲ安ス 鐘樓 寬政七年鑄造ノ鐘ヲ掛ク 境内碑 月笑院本堂建設記念碑 古来より日本仏教は中國より伝来し諸々の名僧によって宗派本山が開かれ伝統文化の基礎を成し仏教の教え禅の心と伝道を説き現在の民衆仏教となり永遠恒久の大民衆宗教となったと想ます 当月笑院は臨済宗南禅寺派に属し開基松平孫三郎家の紋章を継承し國済寺の隠居寺として月笑祖光和尚によって文禄元年秋開創され謂極楽寺と称し月笑和尚にて後に月笑院と改名し現代に至る 今般永年の念願である本堂の老朽化により修復が難かしく再建築計図に基づき平成七年三月十三日建設委員会を設立し再建設行為に慎重審議を尽し其後何度か検討協議を重ねて檀家の所有地である旧自治会々議所跡地を売却し基本金として建設関係各位の積極的な御協力を頂き檀信徒の一致団結されて御褒情により多額の浄財金を賜り此処に竣工見事に完成し檀信徒の御法徳を感慨し顕著いたします 此度世歴紀二千年を迎え様として変貌する社会情勢不透明な経済不況金融不安混迷の社会環境の中に在って檀信徒には先祖の追悼を刻し菩提寺として信仰敬慕繁栄を願い茲に浄財の褒情を感謝し以って大事業の本堂新築並に境内整備を遂行し永く檀信徒の御隆昌を成就し寺院の伝統保持継承を願い此処に竣工を記念し啓事建立し謹んで顕彰します 平成拾一年十一月吉日 建設委員原勝次謹書 |
神社・お寺情報 | 境内碑
改葬記念碑 そもそもわが祖先の係累は 中世室町時代深谷上杉公の家臣 柴崎淡路介により開封され松平孫三郎の采地なりしが その後天領となり、窪田喜左門 深谷喜衞門の御代官所 更に小野藤 治郎の采地となって爾来その子孫世襲せりと云ふ 偶々 当大字柴崎ハ五番地にありし御堂霊園たるはその沿革不詳なるもわが菩提寺月笑院は文禄元年十一月禅宗臨済派国済寺の末寺として松平孫三郎により開基されたものといい それ以前に既に累系の墳墓地として御堂を建立し霊園として極めて敬處に崇祖的祭祀を営み来れるは文献その他により推測せらるるところなり 近世に到りては明治から昭和にかけて大きな社会情勢の変化あり 困難な時代に遭遇せし時ありしも先人良く烈々たる崇祖の念に徹し これが維持管理を全うせり 昭和四十七年十二月偶々この地を含めて新市街地を造成せる上柴土地区画整理事業が始り御堂霊園の地は児童公園になることから菩提寺の月笑院境内地に移転することとなり 関係祭主一同相はかり昭和五十一年十一月役員の選任 その後再三にわたり祭主総会を催して移転の協議 昭和五十五年十二月に当月笑院境内地に移りし新たな墳墓地に共同事業により唐櫃工事を行い 昭和五十六年六月新装なった当霊園に改葬せるものなり なほこれと同時に水舎六地蔵無縁墓地等建設しこれを寺に寄贈せり この偉業なせるは 関係祭主一同の浄心崇祖の誠の顕れで 万古不易の当柴崎の隆昌と繁栄の基を確立し得たことを祖先に御報告申上げ改葬記念碑とす 昭和五十六年六月吉日 柴崎御堂共同霊園祭主一同 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/11/10 19:43:34 |