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(ラルゴ観光企画、観光バス事業部さん)
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 山口県周南市大字須々万本郷312番地 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 周防 |
アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0834-88-0612 |
FAX番号 | 0834-88-2238 |
公式サイトURL | http://www.hiryu.jp/ |
御祭神 | (主祭神)応神天皇 神功皇后 田心姫命 市杵島姫命 湍津姫命 |
創建・建立 | |
旧社格 | |
由来 | 当社には、南北朝時代の後円融天皇の頃(一三七一〜)、山城国の男山八幡宮の神霊が、須々万の西ケ原に天降ったところと言い伝えられる太石があり、これが当社の影向石である。側には、烏帽子岩・馬立岩と呼ばれる石もある。此の地より南東の方角に、飛龍山と呼ばれる丘陵があり、彼の峰に当社の手水池がある。南西の方角に大杉が生育するが、この杉の古木へ、影向石より神霊を遷したと伝えられる(この杉の古木は、その昔神霊を祀る社地を選定する為に、植えられたと伝えられる)。西ケ原の影向石を、俗に神具岩と呼んでおり、其の形は帯を引き廻らした鞠に似ている。此の神具岩に宿る神霊を仮に飛龍山の大杉へ御遷座申し、その後この地に神霊を鎮祭申し上げたのが当社である。従って、当八幡宮は須々万郷の惣鎮守であり、社殿建立は南北朝時代の康暦二年(一三八〇)と棟札に見られる。戦国時代の弘治三年(一五五七)、毛利元就・隆元父子が陶氏の残党征伐の時、須々万の沼城攻略に際して、当社宝前へ五貫文の地領を寄進し、武運長久の祈願を成し、神明の加護により凶徒を平定したと伝える。永禄十一年(一五六八)、当郷役人岸村佐渡守が主君に再建立を願い出て、御造営が成就する。江戸時代の寛永年中(一六二四〜)には社殿が焼失するも、藩主毛利秀就公より直に再建の許可があり、慶安二年(一六四九)、再建が成就する。寛文二年(一六六二)の棟札には、「八幡大神御拝殿再建立畢」とあり、延宝二年(一六七四)には、御殿・長庁の葺替え等の御普請、また元禄五年(一六九二)にも、御殿・拝殿・釣屋の葺替普請がなされた。それ以後においても、享保元年(一七一六)、元文二年(一七三七)に再建された。明治二十一年(一八八八)郷社に、大正十三年(一九二四)県社に昇格する。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 春季例祭(四月十五日)、祈年祭(四月十五日)、秋季例祭(十月二十一日)、新嘗祭(十一月二十三日) |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】ノコノコ 【 最終 更新日時】2025/06/21 11:29:03 |