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住所 | 山口県防府市松崎町14番1号 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 周防 |
アクセス | JR山陽本線防府 徒歩15分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0835-23-7700 |
FAX番号 | 0835-25-0001 |
公式サイトURL | http://www.hofutenmangu.or.jp/ |
御祭神 | 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
天穂日命(あめのほひのみこと) 〔天照大御神の御子〕 武夷鳥命(たけひなどりのみこと) 〔天穂日命の御子〕 野見宿禰(のみのすくね) 〔天穂日命より14代 土師氏の祖〕 |
創建・建立 | 延喜4年(西暦904年) |
旧社格 | 県社 |
由来 | 菅原道真公は、平安時代の延喜元年(901年)、藤原時平の讒言により太宰権帥に左遷の命が下る。
九州へ西下の途時、船を当地勝間の浦へお着けになられた。 菅公は時の周防国司土師信貞と同族であったので手厚く歓迎され、そのもてなしと山秀水麗のこの地に心を和ませられた。 菅公は、「身は筑紫にて果つるとも、魂魄は必ず此の地に帰り来らん」と誓われ、家宝の金鮎一二尾を国司に託され旅立たれた。 延喜3年(903年)、勝間の浦に神光が現れ酒垂山に瑞雲が棚引いた。 異変を感じた国司が、直ちに九州へ使いを遣わせたところ、丁度その日が菅公が薨去された日とわかった。 そこで国司は早速菅公の御霊をお祀りし、翌延喜4年(904年)8月、今の松崎の地に宝殿を建て松崎の社と号した。 これが防府天満宮の創建で、現在全国に1万2千社あるといわれる菅公を祀る社の中でも最古であり、北野天満宮・太宰府天満宮と共に日本三天神と称せられている。 創建以来人々の崇敬は厚く、承安2年(1172年)、周防目代藤原前筑後守季助が金銅舎利塔を、鎌倉時代の文治元年(1185年)、源義経が長門より凱旋の途に甲冑を、また応長元年(1311年)、国司土師信定が松崎天神縁起を寄進する。 これより以降は大内氏・毛利氏より庇護され、神輿・刀剣・絵馬額等多くの奉納物があり、社殿の修理もなされた。 また、社殿は建久6年(1195年)、俊乗坊重源により、本殿・楼門・廻楼が建て替えられる。 然し、元徳2年(1330年)に火災により炎上し旧記等も焼失する。 南北朝時代の正平19年(1364年)より、大内弘世・義弘が本殿・拝殿・楼門・廻廊を重建する。 室町時代の大永6年(1526年)、またもや火災にて社殿の総てを焼失する。 享禄3年(1530年)、大内義隆が造営釿始式を行い、10月に遷宮をする。 その後江戸時代に入ると藩にて造営し、寛政元年(1789年)、毛利重就が社殿の総てを重修造営する。 また、文政5年(1822年)、五重塔造建を発願し釿始式を行うが、時勢により明治元年(1868年)、一重に止め完了する。 又社坊大専坊は、戦国時代に毛利元就が本陣を設営する。 幕末期の慶応3年(1867年)、野村望東尼が参籠して七夜七種の祈願和歌を奉納する。 また当社に木島又兵衛が屯所を置き、討幕の志士が往来するなど、維新の舞台ともなった。 明治2年(1869年)、廃仏毀釈により社坊九寺を廃寺とし、住職は復飾して天満宮社人となることを許可された。 明治6年(1873年)、松崎神社と改称する(旧県社)。 |
神社・お寺情報 | 別表神社 |
例祭日 | 12月5日 例祭 |
神紋・寺紋 | 大聖寺梅鉢 |
更新情報 | 【
最終
更新者】風祭すぅ 【 最終 更新日時】2024/01/01 23:41:55 |