2.8
四阿屋山 法養寺
埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄2391
みんなの御朱印
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(ひでパパさん)
 50
御朱印日:2025年8月24日 00:00
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(なまむぎさん)
 103
御朱印日:2022年2月19日 00:00
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(まっきーさん)
 154
御朱印日:2021年4月25日 13:55
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みんなの参拝記録
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(zx14rさん)
おすすめ度:
★
0
 355
参拝日:2022年10月15日 12:27
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(なまむぎさん)
おすすめ度:
0
 83
参拝日:2022年2月19日 00:00
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(ライムサワーさん)
おすすめ度:
★★★★
0
 100
参拝日:2021年10月23日 15:41
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(はるあすとーちゃんさん)
おすすめ度:
0
 119
参拝日:2021年9月18日 11:25
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(thonglor17さん)
おすすめ度:
★★★
0
 100
参拝日:2021年7月24日 07:18
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(まっきーさん)
おすすめ度:
★★★
0
 343
参拝日:2021年4月25日 13:55
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(たけちゃん⚾さん)
おすすめ度:
0
 130
参拝日:2020年2月19日 14:56
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基本情報
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| 住所 |
埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄2391 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
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| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
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| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御本尊 |
薬師如来 |
| 宗派 |
真言宗智山派 |
| 創建・建立 |
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| 由来 |
新編武藏風土記稿
秩父郡薄村
法養寺 四阿屋山聖乘坊瑠璃光院ト號ス 新義眞言宗那賀郡廣木村常福寺ノ末 本尊大日ヲ安ス 弘法大師ノ作 木ノ坐像長一尺五寸 開山ヲ成範ト云寂年ヲ傳ヘス 藥師堂ノ鰐口ニ聖乘坊成範トアレハ氏邦全盛ノ頃ノ年代ト知ルヘシ 是ヨリ以前幸元祐俊俊廣聖人ノ四世寺錄ニアレト共ニ年代ヲ知ラス 中興ヲ日盛ト云 元祿ノ頃示寂スト云 ソノ日ヲ七日トノミ傳フ 此時ヨリ法流地トナレリト 今ニ歷世相ツヽケタリ 其以前ハ詳ナラネハ モラセリ 天正十九年寺領五石ノ御朱印ヲ賜フ
古鐘一口 長三尺三寸五分 徑リ一尺七寸五分 厚一寸七分 疣六十六 無銘 至テ古色ナリ 土人云 其昔龍宮ヨリ來リシモノト 一說ニ 寺後五七町澤ノ入ニテ掘出セシモノト ソノ年代ハ傳ヘサレト是ヨリ西二十町許山ノ續ニ鹽澤山ノ城跡アリ 其尤モ高キ地ヲ鐘撞場ト云 思フニ落城ノ折カラ澤ナトヘ埋ミシヲ後堀出セシナルヘシ 近頃マテ五分計モ割レテアリシカ今ハシマリテ僅ニ瑕ヲ存セリ
藥師堂 五間四面 木ノ立像長一尺八寸五分 弘法大師ノ作ナリ 靈驗アラタカニシテ古ヨリ開扉セシコトナシト云 是ヨリ南ノ方 小森村ノ內字山居ト云ニ ソノ昔弘法大師來リテ此像ヲ彫刻セシト云 イツノ頃此地ヘ移セシニヤ年代ハ知ルヘカラス 今ニ加持セシ時ノ水ナリトテ 山居ノ百姓源右衞門カ屋敷ニ加持水トテ湧出セルアリ 其水淸冷ニシテ 旱年トイヘトモカルヽコトナシト云 汚穢ノモノ是ヲ酌トキハ水中ニ自然虫ヲ生スト云 又前立ノ藥師トテ坐像長二尺一分ナルアリ 座下ニ銘アリ 彩色剥盡シテ文字分明ナラス 其銘ニ 當寺幸元別當成範願主大檀那氏邦小旦那秩父孫次郞七條大佛師宮內卿法印康淸□正月吉トアリ 左右ニ日光月光ヲ安ス 又十二神ヲ置ケリ 近頃彩色セリト云 ソノ時臺座ハ古キ麁品ナルヲ厭ヒテ改メシトテ 古色ナルヲ存セリ 其頃ノモノト見ユ 文字左ニ載ス
子之神 天正十三乙酉年八月廿日吉田存札願主城範
丑之神 天正十三年十月三月日田代氏
寅之神 天正十四年二月八日旦那猪野豐後守久繁
卯之神 詳ナラス
辰之神 天正十三年藤田六口願主聖乘坊
巳之神 天正十三年猪股氏
午之神 天正十三年十月廿四日日尾城主旦那諏訪部遠江守願主城範
未之神 猪股氏
申之神 天正十三年八月五日旦那安房守氏邦願主聖乘坊城範
酉之神 天正十三年六月七日旦那寶積坊幸鑁僧都願主聖乘坊
戌之神 天正十三年十月日旦那本鄕越前守
亥之神 天正十三年乙酉十月日井上遠江守
鰐口 徑一尺四寸五分 銘 奉寄進山神願主鳥井孫七天文四年乙未十一月吉日トアリ 是ハ字鳥井ト云所ヨリ近キ頃掘出セシモノト云 二月八日六月八日十二月八日九日緣日ナリトテ近鄕ノ男女群集スト云 仁王門 二間ニ三間餘南向 丹生社 例祭二月十三日 古碑 境內ニアリ 上ニ梵字ヲ置キ應永二十三年二月日トアリ 長一尺五寸幅七寸許 |
| 神社・お寺情報 |
秩父十三仏・第7番札所(薬師如来)
境内掲示板
埼玉県指定有形文化財(建造物) 昭和四十九年三月八日指定
法養寺薬師堂 一棟
薬師堂は、古くから山岳信仰の対象である両神山・四阿屋山(あづまやさん・七七一・六m)の麓に平安時代に創建されたと伝わり、堂名を「四阿屋山法養寺薬師堂」といいます。山の薬師、目の病気に霊験あらたかな薬師として広く庶民の信仰を集め、日向薬師 (神奈川県伊勢原市)、鳳来寺薬師 (愛知県新城市) とともに「日本三体薬師」の一つに数えられています。
縁日は毎年一月八日で多くの参詣者で賑わい、秩父神社大祭、飯田八幡神社祭りと並び「秩父三マチ(祭り)」といわれていました。
建物は石積みの基壇上に建ち、間口十一・七メートル、奥行十一・二七メートルを測り、外廻りに幅一・三九メートルの縁・勾欄が付く三間四面の堂です。構造は、桁行(けたゆき)・梁間(はりま)とも三間、一間の向拝(ごはい)が付きます。屋根は、建造当初は茅葺きと推定され ますが、享保年間(一七一六~三六)に向拝を付けた際、瓦葺きに改められ、その後昭和五十三年に銅板葺きに改修しています。
建築様式は和様に唐様が入り交じり、寄棟造りで円柱が立ち並ぶ軸部の木割りは太いものですが、斗供(ときょう・柱上にあって軒を支える組み物)は繊細なものといわれます。木鼻(きばな・柱の上部をつなぐ貫の端)の文様や外壁に打ち付けられていた天正年間(一五七三~九二)の納札から天正頃の移築改造と推定されています。床は槍鉋(やりがんな)で仕上げられ、堂内外に残る墨書が注目されます。古い柱配置などの特徴をもち、県内に残る中世の代表的な建造物の一つです。
薬師堂の由来については明らかではありませんが、永禄十二年(一五六九) から元亀元年(一五七〇)にかけての武田信玄の秩父侵攻の際、兵火で焼失したといわれています。その後、北武蔵の有力な軍事拠点であった鉢形城主の北条氏邦が由緒ある薬師堂を再建したといいます。
令和三年三月九日 小鹿野町教育委員会 |
| 例祭日 |
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| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
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最終
更新者】thonglor17
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最終
更新日時】2026/03/29 17:47:17
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